重症熱傷稲積ブログ -5ページ目

今日、補聴器デビューしました。

 2週間前に、補聴器を注文して、今日引き取りに行きました。耳かけタイプではなく、耳穴タイプです。

 両耳で27万円でした、これでもラインナップの中で、一番安価なタイプです。びっくりします。

 眼鏡店に行き、セットアップや取扱説明など、1時間弱かかりました。

 装着感は、違和感ありありです、もっと自然な感じをイメージしていたのですが、いやな感じです。ストレスありますね。

 装着した感じは、今まで聞こえてなかった、雑音がよく聞こえ、特にしゃべる時自分の声が変で話ししにくいです。携帯電話の時は、いちいち補聴器を取り外さないと話ししにくい感じです。

 しばらく、装着してみてなれるか様子を見てみます。

 

第四章 目が覚めてから…

 3月5日、目が覚めてから…

 意識が戻り最初の印象、病室の周りを見ました、もちろんまだ寝たきりなので見えるのは、入り口扉から見える限られた視界、ナースステーション部分です。

 首元にホースが刺さり、そこから息をしています。だから声は一切出ません。沢山ホースや管が体中に付いていました。ご飯は、鼻の穴の奥に通している管から取っているようでした。


 看護婦さんが、みんな青い服を着ているのです、口にはマスクをして、青い帽子を目深にかぶり、僕の部屋に入る時は、さらに青のビニールのポンチョみたいのをはおり、薄いビニール手袋をして入ります。

 大きなマスクと目深にかぶった帽子の間から目が見えます。異様に思えました。中には、目が真中に一つの人もいました…幻覚です。

 それまでの僕のイメージでは、看護婦は白衣の天使で小さく白い三角帽をかぶっているイメージです。なんか変です…


 左足は全く動かず、見えない釣り糸でガリバーみたいに、左足のひざから下が縛られていると思いました。幻覚です。

 僕の中では、睡眠中の夢の中で、リハビリが終わり、すっかり治って退院できると、思い込んでいました。


 2月3日、近畿大学付属病院に救急車で運ばれたはずなのに… 

 ここは、パチもんの病院、拉致されたとか、なぜ治っているのに軟禁状態なのか、ここは日本ではないのか?病室に来る看護婦さんの名札を必死に見たりしました。首元に小さく光る電極を埋め込まれました(幻覚です)、北朝鮮にでも送られるのか?とか、また、会社の工場の上の病室なのか?と錯覚しました。

 嫁が病室に見舞いに来ると、助け出してくれとか、嫁は仕事柄(生命保険の営業)警察に出入りしているのを知っているので、嫁に小さな声で「警察に助けてもらうように言って」と、再三お願いしました。

 看護婦が、治療のために注射を打ちに来ると、毒でも盛られるかと暴れたりしました。すると、両手はベットに縛られました。

 目が覚めて、はじめは耳が聞こえていたのに、なぜか両耳とも全く聞こえなくなりました。やられたと思いました。それから、声も出ず、耳も聞こえず、筆記でコミュニケーションとりました。

 耳は聞こえず、口もきけず、手足も不自由で、これからどうして生きていけばいいかと思いました。

 毎日来るリハビリの先生におびえました。痛いことをするのです。

 沢山の夢を見ました、現実との境がわからなくなりました。


 週に、2回包交(包帯交換)をします。体がぐりぐり回され、服やシーツまで交換します。僕にとっては一大作業です。何回目かの時、初めて自分の左足を見ました。ゴボウのように、黒く細く、ぐじゅぐじゅでした。なかなかインパクトがありました。「こらぁあかんなぁ」と思いました。


 目が覚めて約2週間ほど経ってから、救命救急センターの中で一番きれいな看護婦さんに、「ここはどこですか?なぜまだ退院できないのですか?どうして入院してるのですか?」と筆記で何度も聞きました。看護婦さんは、名札を見せて「近畿大学付属病院です、仕事中ガソリンの引火で火傷をして入院しています」と丁寧に説明してくれました。その時僕は初めて現実がわかりました。その朝、男の先生が訪れ改めて「ここは、近畿大学付属病院です」と説明してくれました。はじめて理解できた瞬間だったと思います。


第三章 目が覚めた日

2008年3月5日、2月3日に眠りに就いてから、約一か月…

 その日は、朝から、先生がもう目が覚めてもいいはずと、先生や看護師の方が、かわるがわる「稲積さん、稲積さん」と声をかけていたそうです。でも、目は覚めませんでした…

 まだ、目が覚めるまで、目が見えるか、手足は動かせるか、わからない事もあったようです。


 そして、いつものように嫁が、見舞いに来てくれました。 

 そして、嫁が「つとちゃん、つとちゃん」と声をかけました、そしたら、僕は眼を「カッ」と見開きました。

 ナースステーションの横にある、僕の個室には、20人ぐらいの先生や看護師さんが集まり、拍手しました。


 でも、その時の様子、僕の記憶にはありません…