第五章 3月の皮膚移植手術
3月に入り、意識が戻り、事情が理解でき正気に戻ってから…
毎日同じ流れで、相変わらず左足は全く動かず包帯ぐるぐるまきで、喉もとに開けた穴からホースを通し人工呼吸器で呼吸をし口もきけず、しょっちゅう痰を取ってもらい、耳も全く聞こえず、小便も大便も垂れ流し、数日に一度体を拭いてもらい、各種点滴・注射、心電図の配線、そして血圧等様々な検査、リハビリ、包交、レントゲンです。自分の意思、力では何一つできません。
僕は、自分で言うのもなんですが、田舎から一人で出てきて、人の力を借りずに生きて来ました。親に頼った事もありません。風邪で高熱が出たとしても、はいづくばってでも、嫁に頼らず自分で病院に行くほうでした。
それが、自分の力で、呼吸、トイレすら出来ません。
窓も無い隔離された個室で、寝たきりで上半身すら起こす事の無い入院生活ですが、それなりに忙しかったです。
数週間、ほぼ症状の改善もせず、経過をみているようでした。
3月20日ぐらいになって、僕が意識が戻ってから初めての手術をしました。
おなかの皮膚をはがし(はがしと言っても薄皮で擦り傷程度です)、左足の太もも部分と、おしり、右足太もも部分に張りつけました。
そして事件はおきました…
術後、初めての早朝、たんがだんだん詰まってきました。ナースコールで看護婦さん呼び、「たんが詰まっています」「呼吸がしにくい」など、マジックで紙に書き、アピールをしました。看護婦さんはバキュームで何度もタンを吸ってくれました…
しかし、状況はだんだん悪くなってきました。
だんだん、空気が薄くなり、息苦しくなってきました。何度も、マジックでアピールします。
看護婦さんの人数は、2人~4人と人数が増え、当直の男の先生も駆けつけ人工呼吸器のつまみを必死で操作し、僕の個室のベットの両脇には、10人近く集まってきました。
それでも、呼吸は薄くなり、「たんを取ってください」とかアピールするも通じず。
僕は、小刻みに呼吸するも出来ず、看護婦さんは「深呼吸して」と伝えるが出来ず、
パニック状態です。
看護婦さんは、僕の腕に、あわてて注射をうちます。
全身がけいれんし、目が白黒し、ベットの両脇の看護婦さんも、怖がって手を出さなくなったように見えました。
怖いです…
そして、全く無呼吸になりました、全く空気が入ってこなくなったのです。
僕には、3分ぐらいに感じましたが、その時は、もう死ぬかも…、こんなところで(治療中の病院内で)…、とか、嫁とか子供たちの顔が浮かび、大変無念でした、でもあっけないとも思いました。
そしたら、別の当直の先生が、喉もとのホースを抜き、喉に刺さっているプラスチックのアダプターを、力任せで取り外し、新しいのとすり替えてくれました。スーッと空気が入ってきて、助かりました。プラスチックのアダプターにたんが絡んでたようです。大便の小便も垂れ流れてました。
術後、2日目の朝も、全く同じ症状になりました。この時は、大きなたんの塊が、引っかかっていたようです。術後は、多くたんが出るようです。
今思い出しても、本当に怖い出来事でした。もう、死ぬかと思いました。
補聴器をつけて、外出してみました
最近の状況 2008.12.28.
左足膝裏の皮膚伸び縮みせず、日に日に調子が悪くなっていく感じです。
最近は、朝起きると膝が若干曲がったまま、ひざを伸ばすのはとても痛いです。それでも、前より増してすごいびっこを引き、車に乗って会社に行き、痛み止め薬を飲み(以前までは足の痺れがひどくなる夕方に飲んでました)、忘れた頃に薬が効いてくる感じです。
車を運転した直後は、膝がしばらく曲がっている為、すごく痛く、ひどいびっこで、かっこ悪く感じます。
来年1月5日入院。6日手術が決定し、12月は、術前検査や診察で何回も病院に行きました。
形成外科、心臓外科、麻酔科、消化器内科…
左足膝裏の固まっている皮膚を削除して、新たに皮膚移植する手術です。今度の手術で、足の動きがかなり楽になればなぁと思っています。確かに、現在かなり左足膝裏の皮膚は大きく深く何か所も切れ、四六時中痛く、動きも制限され、かなりストレスです。
事故から、もう何回手術しているでしょうか?
でも、今回は初めて、予定を組まれてする手術で、状況が良くなる期待もありますが、不安もあります。