イージー・ゴーイング 山川健一 -146ページ目

今から出勤してきます

 「本と友達カフェ」の「ナースの恋人との12カ月」の連載は、年上のナースとつき会っていると郷里の後輩の望月大地君が言うので「じゃあそれを連載しろ!」とぼくが依頼した企画。「なんとなくエロティックで、しかもナースという職業のきっちりとしたガイドにもなり、人間の生と死に関する感動的なblogに」と依頼してあるんだが、お弁当の話とか彼女が帰って来ないという話とか、どうもあいつは子供なんだか大人なんだかよくわからん。
 http://nurse.ameblo.jp/
 今度は彼女が描いたぼくの似顔絵をアップするとか言っているが、まだそのナースの恋人は紹介してもらってないんだよね。望月君、風邪ひいた時とかに便利だから、そのナースの恋人の携帯番号おしえなさい。

 アメーバブックスの編集部から電話があり、重原隆さんにお願いしてあった「イージー・ゴーイング」の装幀第2案が出来上がったとのこと。出来たばかりの会社でまだスキャナーを買ってないので、携帯で写真を撮って送ろうとしたらしいんだが、画像がよくわからないとのこと。大切なことなので、今から見に行くことにした。ドキドキ。
 でも重原さんだから、いいデザインなんだろうなあ。第1案と2案と、きっと悩むと思うんだよね。
 今夜中に、画像をアップします。

過去を変えることだって不可能ではないんだ

 " MAMA YOU BEEN ON MY MIND "の歌の主人公は、きっともう二度と会うことはない母親を許している。ぼくはそう思うな。
 自分もまた、母親に許してほしいと願っている。
 だからこそ、悲しみの感情があふれてくる。なにかを許すことで、人は悲しみの感情に包まれることになるのかもしれないね。
 そして、おそらく、許すことができた瞬間に、過去の一点が持つ意味は変わるんだ。つまり、ぼくらは過去を変えることができる。そのためには、思い出したくない過去の一点に、一度帰らなければならない。
 もちろん、性的ないたずらをされたとか、もっと酷いこととか、許せないことだってたくさんあるだろう。そういう時は、子供だった自分を許してあげればいいんだ。まだ小さな子供だったあなたは、どうすることもできなかったんだ。
 子供だった自分を責めずに、抱きしめて、少しずつ癒してあげればいい。
 過去は絶対に変更できないもので、嫌なことは忘れてしまうしかない。そんなことはないはずだ、とぼくは思う。
 もっとシンプルに、画家やデザイナーやダンサーになりたいとか、シンガーになりたいとか、あなたはそんな夢を持っていたのかもしれない。そのためにいろいろな努力をして、たとえば今、二十五歳だ。夢はまだ実現できていない。
 さて、この道しかないと思い込んでいる、あなたの足跡がついているその道は、ほんとうにそれ以外にはあり得ないたった一本の道だったのだろうか。どこかに分岐点があったかもしれないよね。
 記憶を辿り、それを思い出すのはとても大切なことだよ。
 スタートはごくシンプルな憧れや夢だったのを思い出したかな?
 デザイナーだとか画家だとか、そんな具体的な職業のことを、子供だったあなたは考えただろうか。そうではなくて、「誰かと感動をわかちあいたい」ということだったのかもしれないよ。
 それが途中で変わってしまったのは何故だろう。
 大人になったから? 
 環境が変わったから? 
 一度失敗したから? 
 自分自身が変わってしまったからかもしれない。
 たんに「好き」からはじまったことが、複雑になってしまったようだね。
 分岐点はどこだったんだろう?
 分岐点というのは、後になって振り返ってみないとけっしてわからないんだ。
 ぼくのように、年齢を重ねてくると、ああ、あそこが小説家になる分岐点だったんだなっていうポイントが必ずある。若いあなたにはまだそんな分岐点にきていないのかもしれないし、でも見すごしてきてしまったかもしれないよ。そこに戻ってやり直すことだって不可能ではないかもしれない。
 スタートはごくシンプルだった。
 その時の自分を思い出してみよう。
 なんの計算もなく、ただこれが好きだからという純粋な自分がいるはずだ。そんな自分を思い出せれば、人は、何度でもやり直せるものだよ。
 早稲田の学生だった頃、ぼくは学生新聞の編集長で、小説ではなく批評やエッセイばかり書いていた。就職せずに、新聞サークルをそのまんま出版社にしたかったんだ。でもそんなの無理だよなと思い、迷っていた。四年生の時に文芸雑誌で小説の賞をもらい、ひとつの夢をあきらめて、作家デビューした。それが分岐点だった。
 この本の版元であるアメーバブックスは、ぼくが何人かの仲間といっしょに作った出版社なんだ。「イージー・ゴーイング」が、記念すべき第一冊めの本になるんだよ。つまりぼくは五十歳を過ぎてから、遥か昔の分岐点に戻って、やっともうひとつの夢の実現に向けて再スタートを切ったというわけだよ。
 きっとあなたはぼくよりずっと若いんだろうと思う。
 大丈夫、きっとうまくいくよ。
(Photo by Mayumi)

装幀案1が上がりました。

 みなさん、タイトルの件ではいろいろお世話になりました。とても助かりました。
 ぼくが学生だった頃、吉行淳之介氏や五木寛之氏、秋山駿氏などが好きで愛読したものですが、あの頃blogがあって、吉行さんが「今夜は銀座の眉で飲んだ。いつものM子が……」なんて書き込んでいたら面白かったろうなあと思ったよ。
 こうなったら、装幀の件に関してもweb編集会議を開かせてください。
 「にゃんちゃん」という本文に登場する猫のキャラクターを山口マオさんが描いてくれ、重原隆さんがデザインして下さった装幀案1が、これです。
 フランス装で、カバーは厚めのトレペーです。緑、オレンジ、白のストライプは、トレペーの下の表紙に印刷されています。
 ちなみに、サブタイトルは「悲しみ上手になるために」のままになっています。
 ぼくは、この装幀が非常に気に入っているのですが、アメーバブックス最初の本なので、もう1案、来週の半ばぐらいまでに作っていただくことになってます。
 それが出来上がったら、またアップします。
 みなさん、感想をお聞かせください!

頑張りたくないあなたへ

 昨日、アメーバブックスの編集会議があった。「イージー・ゴーイング」と「飛べないあなたに羽根をつける方法」(こがけいこ)の発売は10月末。もう1カ月後にせまったので、みんな真剣そのものだ。で、「イージー・ゴーイング」のサブタイトルの「悲しみ上手になるために」は、内容を正確に伝えていないのではないか、という意見が出た。「悲しみ」の先にあるはずのメッセージを伝えるべきだ、と。
 それもそうだなとぼくは思い、その場で代案を出してもらうことにしたんだよね。藤田さんから出たのが「立身出世におさらばしよう」で、でも女性スタッフから「立身出世なんて女の子には関係ない」という反論で却下。その他にも「キャリアアップなんてしたくないあなたへ」「イルカのように泳ぐことができないあなたへ」とか「愛されたいと願うあなたへ」、「サクセスしないで人生を楽しむ方法」とか、いろいろ出て、それを須田さんがホワイトボードに書き出してくれてさ。
 同時刊行のこがけいこさんの本が「飛べないあなたに羽根をつける方法」だから、「サクセスしないで人生を楽しむ方法」にすると両方とも「方法」になっちゃうな、とかさ。いっそのこと藤田さんの本を「ITベンチャー企業の社長になる方法」にして「……方法」って本を10冊ぐらい出そうかとかって冗談が出たりね。
 最終的に、以下の2点が候補になった。
・頑張りたくないあなたへ
・頑張りたくないアナタへ
 これは、阿部恭子さんが出してくれたアイディアです。
 うん、これがいいよねという雰囲気になり、決定。
 ぼくの本の書名は「イージー・ゴーイング/頑張りたくないあなたへ」に決定しました。
 でも、1冊の本をめぐって日々これだけのスタッフがこんなに真剣に議論を重ねるのって初めての経験かもしれない。普通、作家は、原稿を出してしまえばそれで本が出来上がるまであんまりやることがないからね。
 そうそう……とぼくは思うんだ……俺がやりたかったのってこういうことだったんだよな、と。

 あなたの周りには、とても広い世界が広がっているんだ。
 ぼくたちは頑張るために生きているんじゃない。
 楽に生きていると、時には頑張りたくなるものなんだ。
 それがね、イージー・ゴーイングの極意ってものだよ。
(「イージー・ゴーイング」2章「成功」という名の呪文に騙されちゃいけないよ)より

Yahoo!オークションの特集記事

 Yahoo!オークションの「エンタゲット」のコーナーに、「幕末武士道、若きサムライ達」と「新選組、敗れざる武士達」の特集記事がアップされました。
 http://auctions.yahoo.co.jp/html/entget/200409/bakumatsu/index.html
 2冊の本の発売を記念して、あんでる泉さんが描いてくださった本のカバーのイラストをベースに4枚のポスターパネルを制作、ぼくが署名・落款を押しました。坂本龍馬、高杉晋作、近藤勇、土方歳三、4人それぞれの肖像画ですが、どれも素晴らしいです。
○あんでる泉さんの「日進月歩」
http://andelsen.jugem.jp/
 本日よりオークションがスタートします。
第1弾 9月22日~9月28日  高杉晋作
第2弾 9月29日~10月5日  土方歳三
第3弾 10月6日~10月12日 近藤 勇
第4弾 10月13日~10月19日 坂本龍馬

※売り上げは慈善団体に寄付されます。また、ぼくのインタビュー「幕末武士道のなかに何を見たのか? 山川健一さんが語る"幕末武士道"」が掲載されています。
 興味のある方、アクセスしてみてください。

小さな頃のことをきちんと思い出そう

 今、あなたは何かに悩んでいたり、迷っていたりするのかもしれない。
 飛びたいのに上手に遠くまで飛べないのかもしれない。
 夢をなくしたり、夢にやぶれて、味気ない日々をおくっているかもしれない。
 そんなとき、思うことはないかな?
 小さな頃に戻りたいって。
 あの頃は、いろんな可能性があった。
 ベンチャー企業の代表取締役になれたかもしれないし、シンガーになれたかもしれないし、イラストレーターやニュースキャスターになる道だってあった。
 できることなら、もう一度過去に戻ってやり直したい。
 そんなふうに思ったことが、誰にでもあるだろう。
 もちろんまだ若いあなたの前には、無限の可能性があって、未来へとつづく幾筋もの道が目の前にあるだろう。でもあなたが、その膨大な可能性の中から、今につながる道を選んできたのも事実だろう。年齢や性別にかかわらず、誰もが無数の選択を繰り返すことで、今の場所に立っている。
 それを、ちょっと意識してみることが大切だと思う。つまり、自分がどういう選択を経て、どういう場所に立っているのか考えてみるのさ。
 迷ったり悩んだりしたら、立ち止まってみることも大切だとぼくは思う。走り続けることばかりが大事なのではない。
 立ち止まってなにをするのか? 
 子供の頃を思い出せばいいんだよ。
 あなたは、どういう子供だったのだろうか。泣き虫だったのか、気が強かったのか。ずるいところもあり、でも友達には優しかった……。
 それに、どんなに子供っぽいものだったとしても、あなたには夢があった。
 その夢は、でも形を変えて今もあなたのなかに眠っているはずだ。
 ほんとうは、あなたはその夢に続くはずのたったひとつの道をえらんできた。
 その頃の夢を叶えられそうかい?
 それとも、あきらめてしまうべきだろうか?
 ぼくらは、過去は変えられないと思いこんでいる。自分が歩いてきた道は、もう絶対に変更できないと思っている。
 でも、果たしてほんとうにそうだろうか?
 たとえば、あなたの夢は「家族が愛し合って暮らすこと」だとしよう。
 でも子供の時、夕飯の仕度で忙しいお母さんに子供のあなたが纏わりつくので、いらいらしたお母さんがあなたを突き飛ばした。運悪く、あなたは転び、顔に傷を作ってしまった。その傷が、今もうっすらのこっている。
 鏡のなかのその傷を見るたびに、あなたは涙ぐんでしまう。そんなことをした母親を、絶対に許すことはできないと思ってしまう。
 でも、ほんとうに許すことはできないだろうか?
 もうずいぶん昔の歌に" MAMA YOU BEEN ON MY MIND "というバラードがある。ボブ・ディランが書いたのを、ロッド・スチュワートが"Never A Dull Moment"というアルバムのなかで歌っている。
 お母さんに新しい恋人ができたんで、主人公の息子は家を出るんだ。でもふとしたことで、クロスロードに差す太陽の光の加減や、あるいはもしかしたらお天気のせいで、彼はお母さんのことを思い出す。
 ぼくはお母さんを傷つけようとしたわけでもないし、困らせようと思ったわけでもないんだ。答えられないことばかり聞いてごめんなさい、でもぼくはお母さんのことをずっと想ってきたんだ。あなたのことを想ってるというその誰かよりずっと強く、お母さんのことを想ってるんだ。
 でも明日、あなたが目を覚まして鏡を見ても、その隣りにぼくはいない。ぼくはもうあなたの近くにはいないのさ。でもお母さん、ぼくはずっとあなたのことを想っているよ……という歌だ。
 それにしても、ロッド・スチュワートほど悲しみを上手に歌うシンガーを、ぼくは他に知らないね。
 そんな悲しい出来事までふくめて、子供の自分を思い出してみること。そこから今に続く時間の流れを丁寧に辿ってみることが大切だ。
 すると、新鮮な多くの発見があるはずだ。
 そんな発見が、今の自分というものの輪郭をくっきりとさせてくれるにちがいない。
(Photo by Mayumi)
http://blog.melma.com/00122696/
http://www10.plala.or.jp/j-mana7/

時間差生活と同時代

 これまでも時間差生活で、ずっと夜のあいだじゅう起きているのが習慣だったのだが、この頃それがはなはだしい。今朝もまだ眠れそうにない。まあ、いいか。
 blogを始めました、というメールが何通も届くようになった。
 ordinary people(普通の人々)の日記や細々した感想が、これほどスリリングだとは思わなかった。あちこち歩きながら読みはじめると止らない。誰かの日記を読んでいると「おれもこうして生きてるんだよな」という実感がある。
 こうして同時代を生きるって、幸運なことだよね。
 そう言えば、眠れない夜のためのblogってのがあったな。いってみるか。 

ようこそ、「イージー・ゴーイング」の新居へ

 ようこそ、新居に。たった今、引っ越しが終わったばかりです。「イージー・ゴーイング」は「本と友達カフェ」のコンテンツとして8月11日からmelma!blogで連載されていたエッセイですで、10月に新会社アメーバブックスの最初の単行本として出版されます。
 ameba blogのスタートとともに、こちらに引っ越しました。
 と言っても「本編」だけで、日記ふうの「スケッチ」とお知らせを書く「閑話休題」までは手が回りませんでした。「本編」のコメントも、いっしょに引っ越してきましたが、トラックバックのほうは無理でした。ごめん。melma!blogの「イージー・ゴーイング」もそのまま置いておきますので、過去のコンテンツはそちらで読んでください。
 http://blog.melma.com/00120231/
 ameba blogはいろいろ高機能なんだが、いちばんいいのは案外「コメント」にタイトルをつけられることじゃないかな。皆さんのコメントを改めて読み返しながら、勝手にタイトルをつけさせてもらいました。melma!blogではつけられなかったからさ。いいコメントだよなあとか、詩的なコメントだよなあとか、あらためて感動した。ほんと。
 ameba blog版「イージー・ゴーイング」も、コメントとトラックバック、よろしく頼むね。
 それから、「幕末武士道と新選組」blogは、従来通りmelma!blogでつづけます。
 http://blog.melma.com/00118522/
 melma!blogのほうが、なんか武士道っぽい気がして。
 

その弱さは具体的にどういうものか考えてみること

 階段を登っていくことなのか、降りていくことなのか、それはよくわからない。だけど自分に独特なひとつの可能性、日本人が好きな言葉で表現するなら「道」が見えてきた。そう自然に思えた時こそが、生き方を変えるいい機会だ。
 だけど、上手にシグナルをキャッチできる人と、そうでない人がいる。
 その差が、どうしてできるのだろうか?
 思うに、自分の弱さに自覚的な人とそうでない人の差なのではないだろうか。
 自分は弱い。
 あるいは、私のなかにはこんな弱さがある。
 そう知っている人こそが、無理をしないで生きていくことができる。
 自分で言うのもなんだが、ぼくはよく「陽気だね」とか「いっしょにいると楽しいよ」とか、「ポジティブだね」などと言われる。「人間関係の達人だね」とまで言われることさえある。
 もちろん、実情はそうではない。
 ぼくは自分が自動車やオートバイやギター、あるいはマッキントッシュといった「物」をこれほどまでに偏愛するのは、性格的な欠陥があるせいだろうと思っている。その欠陥、つまり弱さを一言で表現するなら「人間嫌いである」ということだろう。
 心の底から人間というものを愛したいと願っているくせに、根本的には人間嫌いなんだ。人間より、むしろ動物のほうが好きだ。自分のそういう傾向に気がついたのは、十代の頃のことだ。
 それが、自分の弱さなのだと思っている。
 だから、誰かと会う時、なるべくその人のいいところを発見しようと努力する。
 今の自分を、ぼくは長い時間をかけて意識的に作ってきた。いつでも自分の弱点に自覚的であるように努めた。
 人間嫌いであり、短気であり、正義感が強すぎるあまり誰かの過ちをなかなか許すことができない。そういう自分の弱さを、まず認めようと努力してきたんだ。
 もちろん、今でもそういう弱点を克服できたわけではない。短気なのはさすがに直ってきたけど、他人を許すのが下手なのは相変わらずだ。
 作家というのは因果な職業で、かつて自分が書いた文章を読者の方々が今でも覚えていて、「昔こんなことを書かれていましたよね」などと言われることがある。
 そういう時はギャッと叫んで逃げ出したくなる。かつてのぼくのいくつかの作品には「恋愛よりもセックスのほうが大切だ」と考える主人公が登場するが、それは当時のぼくが自分の臆病さを吐露しているようなものだと思うね。
 だけど、自分がそういう駄目な人間だということは、知らないより知っているほうがいいと思うのだ。
 ぼくは人間関係の達人などではなく、一週間とか二週間、誰にも会わずに部屋に閉じこもり、電話さえとらないこともある。似たようなことは、誰にでもあるものだろう。でもね、そういう期間がずっと続くことなどあり得ないんだ。やがて誰かに会いたくなるだろう。そんな時に会える相手は、あなたにとって大切な人のはずだ。
 大切な相手に会っている時には、相手のいい所を探すように努力しよう。
 そんな過程のなかから、友達や、信頼できる仕事のパートナーが少しずつ増えていくだろう。
 あなたにも、きっと何か弱さがあるはずだと思う。その弱さとはどんなものなのか、知る必要がある。「えっ、そんなことだったんだ!」と思えるような意外な弱さを抱えて、誰もが生きているものだよ。
 自分の弱さとは、相手がごく普通に指摘している欠点なのに腹立たしかったり、傷ついてしまったりする自分の属性だ。
 淋しそうに見える、ずるい、臆病だ、八方美人だ、保守的だよね、などといった言葉に敏感に反応してしまったことがないだろうか? それが、あなたの弱さなのだ。
 たとえばぼくの場合、「自己チューだ」「傲慢だ」「だらしがない」なんて言われても、まったく傷つかないんだよね。ところが、親しい友人に「意外に保守的だよね」と言われた時、ひどく腹立たしかった。
「俺が保守的? ロックンロールとマッキントッシュとポルシェを愛するこの俺が保守的? なんでだよ!」
「だ・か・ら、そこが保守的なんだって」
 ウッ、と絶句してしまうぼく。 
 つまり、「意外に保守的」であるという事実が、ぼくの弱さなんだろう。
 自分もまた弱い人間だと認めること。
 そして、その弱さは具体的にどういうものか考えてみること。
 弱さは、必ずしも嫌うべき事柄でもない。ぼくは「意外に保守的」で、そんな自分を長らく嫌悪してきたが、だからこそオートバイやクルマに乗る機会が多いのに一度も事故を起こしたことがない。もしかしたらとっくに失っていてもおかしくなかった信頼というものも、失わずにすんでいるのかもしれない。
 でも、仕事のパートナーを選ぶときには、意図的に「意外と革命的」な人を探すことにしている。そういう人こそが、ぼくの欠点を補ってくれる人だと思うから。
 自分の弱さを認め、それがどういう性質の弱さなのか知ること。そういう弱さを抱えた自分のぜんたいを、嫌わずに受け容れること。
 それができれば、人生を変える風が吹いてきた時、上手に帆を張ることができるだろう。
(Illustration and Photo by Hiromi)

まず、弱い自分を認めることが大切だ

 人間はとても弱い存在だから、自分を大切にすることより、社会の枠組みというものに自分を合わせてしまいたくなる。
 たとえば無名の大学よりは有名な大学に進学したい。
 名前を言えば誰でも知っているような会社に就職したい。
 一度その会社に入ったからには、せめて課長ぐらいまでは出世したい。
 バンドをやっている人ならメジャーレーベルでデビューしたいし、絵を書いている人なら一流の画廊で個展を開きたい。作家志望の人なら、一冊でいいから自分の本を出版してみたい。
 あるいは起業して、お金儲けがしたい。
 女の人なら、申し分のない男性と恋をして、やがて結婚したい。
 つまり、サクセスしたい。そういう欲望は、個性的な自分という存在からは、じつは遥かに遠いものなんだよね。
 だけどサクセスしたいと願うのは人情というもので、そんな自分を否定しないこともまた大切なのかもしれない。
 人生の階段というものは、登っていくほうが降りていくよりも遥かに楽だ。
 苦労しながら受験勉強する。
 こつこつ仕事する。
 その過程は遊び呆ける毎日より大変かもしれないが、精神的には充実感があるだろう。周囲の人も、そんな努力を認めてくれるにちがいない。
 そういう場所からゆっくり遠ざかるには、勇気がいる。
 階段を降りてゆくというのは、具体的に言うなら会社を辞めたり、昨年より今年の年収がダウンしたり、離婚したり、長年培ってきた夢のひとつをあきらめるということだ。あるいは、半年なり一年なり、仕事を休んでしまうことだ。
 こうしたことを実行に移すには、本人にとっては周囲の人間が想像する以上のエネルギーが必要だ。
 だから、精神的にまだ無理だなと思ううちは、階段を登る努力を続ければいい。
 人間は、ほんとうに弱い存在だからだ。
 でもいつか、些細なきっかけが見つかるかもしれない。ある日突然、熟した果実が木の枝からポトリと地面に落ちるように、緩やかに下る心地の良い下り階段が見えるかもしれない。その時には、自分らしいその階段を降りてゆく勇気をもとうね。
 意志の力で無理して階段を降りようとするのは、階段を登り続けるよりも深刻なストレスをもたらすかもしれない。でも、自然に降りていけるなと思う時が、やってくるかもしれないよ。
 いちばん大切なのは、無理しないということだ。
 <無理するな>
 それが、十代の頃から変わらないぼくの座右の銘なんだ。
 立身出世、サクセス、成功。
 じつはそれは、ぼくらの弱さから生まれた目標なのだということを知ろう。
 そんなものとは関係なしに生きていきたい。そんなふうにごく自然に思えるチャンスが、いつかきっと巡ってくるだかもしれない。誰にでも、そういうシグナルがある。それを見逃さないことが大切なんだ。
(Illustration and Photo by Hiromi)