「セールスマン」日常生活の中で起こり得る事件をどう解決することが良いのか。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「セールスマン」を観てきました。

 

ストーリーは、

小さな劇団に所属し、作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演している役者の夫婦。ある日、引っ越したばかりの自宅で夫が不在中に、妻が何者かに襲われる。事件が表ざたになることを嫌がり、警察へ通報しようとしない妻に業を煮やした夫は、独自に犯人を探し始めるが…。

というお話です。

 

 

学校教師のエマッドと妻のラナは、小さな劇団に所属し、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の公演に向けて稽古に勤しんでいます。ある日、住んでいるアパートが、隣地の開拓によって傾き、いつ崩れるとも解らない状態になってしまい、引っ越さなくてはならなくなります。

 

劇団の友人の紹介で、新しいアパートを見つけ、引っ越したエマッドとラナは、前のアパートと同じように静かに暮らしています。ある日、エマッドの帰りを待つラナは、いつもの通り、玄関のブザーを聞き、声を聞かずに、玄関ドアを開けてしまいます。お風呂の用意をして待っている所へ、後ろから人の気配を感じたラナは、振り向きざまに殴られ、気を失ってしまいます。

 

 

大きな音と悲鳴を聞きつけた隣人が、エマッドの家に駆けつけ、風呂場で血を流して倒れているラナを見つけ、直ぐに救急車を呼びます。治療を受けたラナを迎えるエマッドは、何があったのか問いただしますが、ラナは、エマッドが帰ってきたものと思って、玄関を開けて待っていたら襲われたと話します。

 

妻のラナを襲われたエマッドは、犯人を捜すべく、色々と調べ始めますが、大した手がかりは見つかりません。手がかりとしては、外に残されたトラックだけ。エマッドは、そのトラックの持ち主を探し出し、家に押し入った人物を探そうと、手を尽くします。エマッドは、最初はラナに警察に行こうと促すのですが、襲われたという事でイラン社会での影響を考え、ラナは悪い噂になるのを嫌がり、結局は警察に届け出ず、一人で犯人を捜すことになります。

 

 

手がかりのトラックナンバーから、町のパン屋に勤める男が持っていると判り、エマッドはその男に、何とか本当の事を聞き出そうと、自分の家の引越しにかこつけ、話を聞こうとします。

 

男と約束した日時に家で待っていると、持ち主とは違う男がやってきて、持ち主の義父だと名乗り、引越の手伝いをすると言います。エマッドは、男を迎え入れ、目的は違うところにあると話し、車の持ち主を呼び出せと脅します。しかし、彼の義父だという男は、ガンとしていう事を聞こうとはしません。エマッドは男を脅して、車の持ち主を呼び出そうとするのですが・・・。後は、映画を観てくださいね。

 

 

イラン映画ということで、スッキリは期待していないとは思いますが、あまりにも辛い結末にたどり着くので、何とも言えませんでした。これ、どうすんだよ~って感じで悲しくなりました。

 

私は、罪は罪なんだから、どんな理由があろうとも償うべきだと思っているのですが、この映画では、辛かったなぁ。確かに罪を犯しているし、償うのは当たり前だと思うのですが、なんか、上手く逃げられてしまったような、そんな気持ちがして、もやもやしました。

 

日本でも、先日、性犯罪の厳罰化が、やっと改正刑法が成立し性被害者の権利が認められましたが、まだまだ甘い状態です。イランでの状況がどうだかわかりませんが、性被害を受けた時、どうしても襲われた方が避難を受けてしまう事があるんですよね。強姦なのに、なんで被害者が白い目で見られなきゃいけないの?悪い事なんて一切していないのに、何故か白い目で見られてしまう。男性でも女性でも、強要されてそういう関係を持たされたなら、保護されるべきなのに、何でなんでしょう。

 

 

イランだって、被害者情報の保護をするべきなのに、それが無いから被害者が届け出ることが出来ないなんて納得出来ませんでした。本当だったら、いくらでも警察に協力したいけど、どう襲われたとか、どんなことをされたとか、そんな事を捜査官相手に思い出しながら話さなければならないなんて、再度の強姦と一緒ですよね。思い出したくない事なのに、それをなぞらなくてはならないなんて、拷問だと思います。だから、ラナは警察に行けなかったんだと思うんです。こういう気持ち、男性も解ってくれるのかしら。思い出したくないですよ。

 

なので、エマッドは、自分で犯人捜しを始めるのですが、ラナからしたら、警察に話さなくても済んだけど、結局は夫が犯人を探し出し、犯人の顔を、再度見なければならなくなるのなら、一緒なんですよ。目の前に犯人が出てくるなんて望んでいないんです。忘れたいんです。

 

 

もちろん、夫の立場からすると、自分の妻を屈辱した男を捕まえて報復したいという気持ちは解らなくはないので、エマッドが探す気持ちも解るんです。それでも、最後には、ラナの気持ちを解って、彼女に結末を見せるのを辞めて欲しかった。襲われた女としたら、犯人の顔なんて二度と見たくないし、近づきたくないというのが一番です。それを男は解っていないんですよね。

 

被害者の立場にならないと解らないと思うのですが、普通の犯罪の様に、犯人が見つかれば解決でスッキリという事件じゃないんですよ。こればかりは、女性の心が殺されたと同じ事なんです。生きていても、二度と同じ生活をその場では出来ないんです。それが解って貰えないのよねぇ。

 

 

そういう事が起きないように、日本では「遊郭」というものが昔からあって、現在は「風俗」というものがあるのに、それを表立って認識しようとしないのが世界の表向きの顔で、イライラします。性犯罪を失くそうと思うなら、性処理が出来る場所を合法的に提供しなさいよ。人間だって動物なんだから、社会的な生活を誰もが安全に行おうとするなら、そういう汚い部分も許容する必要があるでしょ。キレイ事ばっかり言っているのは辞めて欲しい。被害者が増える前にやれって!

 

いつまでも「慰安婦」とかで言い合うのは辞めて、そういう「慰安」する場所があるからこそ、性犯罪が抑制されているという事を認識したらどうなのかしら。いい加減に向き合えって!

 

この映画、何故、舞台で「セールスマンの死」を演じているのかというと、社会に殺されるという事なんですよね。社会が人を殺すんです。犯罪じゃない。社会なんです。

 

 

怒っている場合では無く、この映画、私は、お薦めしたいと思います。色々な側からの見方を考えさせてくれる内容で、衝撃的でした。普通の生活を送る一般人が、日常の中で起こり得る事件であり、簡単には解決出来ない問題に向き合う姿は、もし自分に起きたらと思うと、本当に考えさせられました。ただ、犯人を追い詰めて突き詰めれば良いだけの事ではないという事を教えてくれていて、とても悩みました。スゴイ作品です。ぜひ、観てみて下さい。

ぜひ、楽しんできてくださいね。

 

 

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