映画 エロチック乱歩 人間椅子(2007年) ネタバレ・あらすじ・感想 | 映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

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映画ネタバレ~邦画のご紹介です。

映画 人間椅子(2007年)ネタバレ・あらすじ・感想



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映画 人間椅子(2007年) 概要



2007年公開の邦画。
監督:佐藤圭作
原作:江戸川乱歩
脚本:佐藤圭作、武井彩
配給:アートポート
ジャンル:ミステリー
上映時間:76分

映画 人間椅子(2007年) ネタバレ・あらすじ



出版社に勤める倉田真里は、人気女流作家である今野佳子の担当を任される。
佳子は、以前は大御所作家である大河内俊作の弟子をしていたのだが、大河内の謎の失踪以降に、連載の穴を埋めるべく書いた作品が脚光を浴びるようになり、瞬く間に売れっ子作家になった。
しかし、編集長の小原によると、弟子時代の佳子は、単に大河内の変態プレイの相手をしていただけという。

美人過ぎる女流小説家ゆえか、文壇に鮮烈なデビューを飾った佳子であったが、何故か彼女は次回作をなかなか書こうとしない。
そんな佳子に、作品を書かせるという任務を帯びて、真理は、元々は大河内俊作の家であった佳子の家に通うようになる。
真理には作家の私物を集めるという悪い癖があり、佳子からも喫茶店で使用済みのティースプーンを、ちゃっかり持ち帰っていた。

佳子は毎夜、下着姿になり黒いビニールコーティングのソファーに座って悶える。
ソファーの中にはどうやら人間が入っているらしく、その時だけ内側から蠢いて、佳子の身体の感触を確かめ性的な悦びを感じていたようであった。

ある日、真理は、佳子に、とある変態っぽいビデオを見せられる。
それは、プールのような場所で、佳子が、白いシーツを被せたものの上に座り、体をくねらせて悶えているのを撮影したものだった。
椅子のように見えたものは、シーツを被された大河内俊作自身であろうと思われた。
「ならば大河内は失踪などしたのではなく、おそらく、あの黒いビニールコーティングのソファーの中にいるに違いない。」
その事を、真理が、ある夜、家に訪ねてきた小原に告げると、小原は「そんな事はない。なぜなら俺は大河内先生の死体を埋めるのを手伝ったから。」などとサラリと言う。
あまりにもサラリと言うので本気とも冗談ともつかないのだ。
そして、この日、小原は真理が、佳子がゴミ箱に捨てたイヤリングを持ち帰っていた事を理由に担当から外すと告げた。
その上、イヤリングを盗んだ事は口外しないからと脅し体の関係を結んだ。
(エッチシーンはありません。)

事が終わると、小原は真理を連れて今野佳子の家へ行き、真理を新しい佳子のゴーストライターに任命した。
以前、真理が応募していた『淡雪』という小説は、落選後、出版社の倉庫に眠っていて、小原がそれを読むと、
そこそこイケていたというのが理由であった。
この時、真理は、椅子の中に入っていた人間が、大河内ではなくて前任の編集者の堀田である事を初めて知った。

堀田は、真理に新作の小説の存在を佳子以外の人間が書いたかのように洩らした事で、佳子の怒りを買いゴルフクラブで滅多打ちにされた後であった。
真理と小原が駆けつけたこの時には顔から血を流し、椅子から出ていた。

大河内殺害は堀田の仕業であり、それは佳子も望んだ事であった。

今回、担当が堀田から真理に引き継がれた事で、今度は真理が椅子の中に入るのか?!とも思われたが、堀田は人間椅子の務めが気に入っており、役目を降りたがらなかった。
しかしながら「佳子の精神が最早、崩壊してしまっているので堀田が佳子によって殺されてしまうのも近いであろう。」というのが小原の読みであった。
だから「堀田が死んだら、おまえが書き。」と小原は真理に告げた。

映画 人間椅子(2007年)キャスト



倉田真里…新人編集者(宮地真緒)
小原茂樹…編集長(板尾創路)
今野佳子…美人女流作家(小沢真珠)


映画 人間椅子(2007年) 感想


サディステックな女流作家に、猟奇的な美女役の日本代表のような小沢真珠を持ってきたのはナイスキャスティング!

編集長の小原が「美人女流作家だからこそ売れるのだ。」と言い切っていたが、この台詞は完全に文学好きを舐めているのでは?
文学が好きな人は、作品を作者の顔なんかで選別してないと思う。
その作品が面白ければ、ぶっさいくな、おっさんが書いたものでも、シワクチャのお婆さんが書いたものでも関係なかろう。
また、そんな風に断定してしまうと「あの人は美人ではないのになぜ売れたのか?」という女流小説家が、世の中の文壇にはちゃんと、いらっしゃいますが…その事はどう説明するの?

私が思うに、これは小原の言葉不足で「その小説の内容がエロテックであった場合に、作家が美女であれば大いにウケる。」という事なのではないだろうか?

リアルの文壇では、美女とは言い難い容姿でもエロテックな小説を書かれている女流作家が実在するが、上手く波にさえ乗れば不美人は弊害にはならないのを実証されておられるのだ。

で、この映画の中で実際に佳子が書いたわけではない他の者(前任の編集者)が書いた小説が世に出て行って、それがバカ売れしているというストーリーなのだが、そのストーリーが全く紹介されておらず、その点がなんとも残念である。

それとさぁ…結局、椅子の中に人が入っていようがいまいが、替え玉作家が作品さえ書いてくれればいいわけなんだから、椅子の中に人間が入ってたのは、独特な文学を生み出すのが目的ではなくて、単なるそやつへのご褒美って事だったみたい。

椅子の中に入ってた前編集者も変態ならば、大御所作家の大河内俊作も変態。
世の中、そんなに変態が多いものなんだろうか?