#サーホー ドリパス秋葉原。封切り時に見てオチまで知ってるからと内容理解の努力を全くしないまま見ていたら、1時間半ぐらいたっても内容が全く理解できてないのにビックリ。でもそんなことどーでもよくなるぐらいそこからのプラバース様がかっこいいのよね♪ もうそれだけで充分なのだわと納得
 
『探偵マーロウ』を見て、昨日何故 #サーホー に理解が追いつかなかったのかなんとなく分かった。インド映画だもの、前半と後半は全く別の物語として考えなくてはならないという前提をまず立てねばならない。その上で前半の「謎解き」は、まず現在何が進行中であるのか、そのものが「謎」という仕掛け
 
後半は前半で明かになった「犯人」を主軸に物語りが進むが、「何故そういう行動をとるのか」が分からない。その「目的」が分かっても、次は「動機」が分からない。結果的に何がなんだか分からない、と思うのはこの映画では最大の謎がその「動機」にあるからだ。その「動機」こそが全ての根底にある 
 
そういう観点から見直せば、もうちょっと話の組み立てが分かってくるのかもしれない。 とはいえプラバース様のかっこいいシーンを取りたい! というのが実はこの映画の最大の目的なので、やっぱり他はどうでもいいかも。
 
とはいえ初回観賞時を思い出すと #サーホー のサスペンスとかワクワク感って前半は「え? 今一体何が起こっているの?」で、後半は「え? 一体この人は何がしたいの? 何が目的? 何故?」だったので、それが全部わかっちゃったら物語的に惹かれる部分はないのかも。それを補うのがプラバース様
 
 
 

『RRR』のラーマ役、チャランガルことラーム・チャランさんと奥様のウパサナさんの間に第一子となる女の赤ちゃんが誕生しました! インドではニュースになるほど喜びに包まれております。

 

日本のファンも同じで、日本時間の午前8時ぐらいに出た第一報に出勤前や途中の皆さんがツイッターで湧きに湧いておりました。

 

チャランガルご夫妻と今からメガプリンセスと呼ばれている赤ちゃんが幸せに包まれますよう!

 

 

 

#探偵マーロウ 映像も音楽も言葉も全てが美しい。でも物語は難しい。「見ているものが全てではない」ので。思わせぶりなセリフや人物に眩惑される内、観客は自分が何を探していたのか分からなくなる。マーロウと共に迷宮に入り込んでしまうのだ。
 
 
今はどうか知らないけれど、かつては推理小説には幾つかのルールがあった。映像化されてもそれは重要で、例えば「全ての手がかりは読者(観客)の前に全て知らされていなくてはならない」というのがある。作り手は決定的な手がかりをそれと知られないようさりげなく配置するのが見せ所となる。 
 
でも最近はそれが曖昧で、特に推理とかミステリであるとかを主張してない作品だと後出しで、時間巻き戻したりして「実はこんな事やってましたー!」的な見せ方をする作品も多い(『サーホー』なんかまさにそれ)。それをやられちゃうと観客はそれまでの経験が適用できないため煙に巻かれてしまう。 
 
探偵マーロウ は、たぶん推理小説や映画にさんざん慣れ親しんだ人間(私みたいなタイプ)を翻弄するのが目的で作られた作品なんだろう。事前情報入れずに見に行って、あれ? こんな作品チャンドラーにあったかなあと思いつつ台詞回しがあまりにチャンドラーっぽいので忘れただけかと思ってたのだが さっき公式サイト読んだら別人の作品でした。ああ、過度なチャンドラー味はそのせいかと納得。二次創作にはありがちですね。そう思うと映画の雰囲気が過剰なフィリップ・マーロウなのもそんな気がしてくるから不思議。リーアム・ニーソンははまり役でかっこよかったですけどね。彼、米国人じゃないけど 
 
  事件は1939年設定で、映画もそういうテンポ感ですすむので、ワリと何も起きないまま上流階級の怪しい雰囲気と匂わせの情事(つまり何もない)だけで話が進むのでなんぼ台詞回しが気取ってても眠くなります。実際寝ました。そのせいで肝心な所が抜けたのかもしれませんが、話は唐突に進み始めます。 
 
一応、手がかりは全部出しておきましたからね、というエクスキューズを見つつ、登場人物の告白で細かな事件の犯人、大元の事件の犯人も分かるのですが、最後の最後までピンと来ないのは「何故そんな事件が起こったか」なんですよ。つまりね、動機が分からないの。普通は金か嫉妬なのに、違うから。 
 
そしてその動機が、たぶんチャンドラーなら書かなかったもの。この作品が今作られた理由でもある。 まあ最後まで見て納得できるかと問われると、あたしゃ納得できなかったですね。そこにもっていくだけの材料がなさすぎるんだもん。無理矢理こじつけたとしか思えない。俳優陣は見応え合っただけに残念