北欧の至宝、マッツ・ミケルセンが出ることは知ってましたが、冒頭いきなりトーマス・クレッチマンとの美形対決とは知りませんでした。いやもお、トーマスのナチ将校ぶりは板に付いてて最高ですな。中身がどれだけ○○ッタレだったとしてもね。

 

その後もイギリスからジョン・リス・デイヴィス、スペインからアントニオ・バンデラスと至宝揃いではあるものの、ちょっと年齢層が高すぎて……。近頃は浅黒い肌を濃い髭で彩り、上半身脱いで鍛え上げた筋肉を惜しげもなくさらすインド系映画ばかり見てたせいか少々物足りないと思ってたんです。が! 

 

ある瞬間からパーンとそれがひっくり返りました。マッツすごい、マッツ最高、これはもうマッツでなければ考えられない! というぐらいの意外な展開に目ぇむいちゃった。そこからはずっと目が皿! ここで驚いたおかげでその後は何が起きてもオッケー♪になっちゃったのがマッツのなせる業ですねえ。 

 

それにしてもインディが随分くたびれてると思ったら、ちゃんと理由があって……観客として思う所はありますが、ハリソンの演技はさすがだな、と。ハリソンひきたてるためかマッツが今回随分ドタバタあたふたする役だったのが面白かったです。もう、マッツよければ全てよしで大満足のインディでした♪ 

 

最後にふさわしい作品でしたね。いろいろわかってから見るとまた別の観賞ができそうで……リピーター招き系の映画でしたわ、うん。ああ、もう、マッツがおいでおいでしてるわよぅ! (私のTL「マッツステキ」な感想しかほぼ流れてこない。インド民もみんなマッツ好きで笑った。マッツは汎用)

 

(ワリとね、インド映画民の皆様、推しが被虐嗜虐両方イケるのが好きみたいでね。だったらそりゃマッツがお手本みたいなもんですもんね)

 

 

ツイッター見てると次々に課題を出されるのよね、『RRR』を見る際の。 先日どなたかのイラストで赤い制服のラーマが総督官邸でスコットに会う際、彼の背後で再建中の街灯がずっとフラフラしてるというのを見て確認しに行ったらまさにその通りだったんですが、たぶんそれ、演出上の意図です。

 

 
街灯立て直すのにやたら時間がかかってるのは確かですが、途中その一部がラーマのヘルメットと平行になるシーンがあるので構図上の側面もあると思います。でもその街灯、ビームの鞭打ちを命じられて茫然としているラーマの後ろでずっと傾いたままなんですよ。それは彼の心が傾いている象徴ですよね?
 
街灯は「火」を灯すものだから、ラーマ自身の象徴なんですよ。その時は日中だから当然街灯に火はない。ラーマの心からも「火」は失われています(親友を裏切った心の痛手から立ち直ってない)。だから単なる鉄の塊として彼の頭上にのしかかる。アームがラーマのヘルメットと平行になってる辺りね。 
 
その後、スコットの言葉に「イエッサー」と答えつつも心は千々に乱れるラーマの後ろで街灯のポールは何故か傾いたまま静止するのですよ。職人さん三人がかりで何やってるんだって話ですけど、その傾いたポールがラーマの心がゆらいでる=まっすぐに立ってないって象徴なんでしょう。 
 
監督を信頼するってそういうことで、「何か理由があるはず」と探しにいくと大抵答えがみつかるんですよね。 まあ、こちらの勝手な思い込みという可能性もありますが。でもラージャマウリ監督の場合は信頼性が高いので、たぶんそういうことなんじゃないかと思います。