青は どこまでも あおくて
みどりは どこまでも 深い深いみどり
ボクは どこまでも
まるっと ボクのまま あるいていこう
ふつう とか ヘイキンとか
そんな あるようなないようなこと よりも
くらべるなら
一ねんまえのじぶん とか
5さいのときのじぶん のほうが
たのしいとおもわない?
ボクは まるっと ボクのまま あるいていくよ
青は どこまでも あおくて
みどりは どこまでも 深い深いみどり
ボクは どこまでも
まるっと ボクのまま あるいていこう
ふつう とか ヘイキンとか
そんな あるようなないようなこと よりも
くらべるなら
一ねんまえのじぶん とか
5さいのときのじぶん のほうが
たのしいとおもわない?
ボクは まるっと ボクのまま あるいていくよ
おぞうにとか おせちとか みかんとか
あじわって たべてたら
あっというまに 元旦から 3日すぎちゃってました
2015年も きっと(いや、まちがいなく)
ボクのブログは
ゆる~く マイペースに なりそう
よかったら あそびに きてやってくださいね
ことしも よろしくおねがいします
あきのかぜに なるには
どれくらい はやく はしればいいの?
そう きいたのに
きみから かえってきたのは とんちんかんなへんじ
あきは ほかのことは かんがえないで
おいしいものとか
きれいなものとか
かぜとか はっぱの においとか
ゆっくり ゆっくり あじわうのがいいよ
たっぷり あきのしっぽまで まるごとね
きみのことばが のうてんきすぎて
ボクは おもわず わらいだしてしまった
だって おいしいものを たっぷり あじわうって
わるいけど ボクは さかだちしても できちゃうよ
ほらね
自信まんまんな ボクの耳に
きみは ボソボソっと はなして 西のそらにきえていったね
しあわせの たねの かりんっていう
はじける音が きこえるまで
あきの色やかたちや やさしいあじを かみしめてみてね
そしたら
きみは だれかの あきのかぜに なれるかもしれない
月まで 行ってたんだっけ? わたし
と おもうくらい
しっぽを ふりふり ふりふり ふりふり
まってたんだよー みあげる目が
声より おおきなこころの声で
おかえりなさい! っていう
としょかんまで じてんしゃで行って
コンビニも ちょっと よりみちして
それでもまだ 2じかんはんしか たってないのにね
いったい
どこで おぼえたの
ひとのきもちの うれしいがある ばしょを
あれから
きみが であった いろんな できごと
ぜんぶを
話さなくても いいよ
きみが
話してくれたことが
きみの すべてだと
ボクは いつだって しんじているから
こんなじぶん やだ
って
ボクたちは
おもうこと ない ないない
こんなじぶんも
あんなじぶんも
そんなじぶんも
ぜんぶ ボク ボクだから
あじさいも
朝顔も
小さな窓も
もくもく雲も
きみどり色のクレヨンも
おでこの汗も
みんな みんな
じぶんを やだ なんておもわない
きみの やだって おもうココロ
ためいき色してるココロ
こっそり 土の中に うめちゃおう
ボクが 深く深く 土をほりほり
してあげる
かっこよく みられたいとか
ホントは かしこいひとって おもわれたいとか
そういう うわべのかざりを もとめるのは
すてちゃおうよ いさぎよく
かっこわるい まんまを さらけだして
こんなもんですボクは!って にっこりできたら ラクちんだよ
どっちみち
生きるって かっこわるいことの れんぞくじゃん
はっと 気がついたら
ひざしも 風のいろも 春になっていた
まだ 冬眠していたい
眠たげな きぶんは いっきに さめた
おとぎのくにのような
サクラ舞う 春が うたっている
やさしい声で つつむように
ボクにも うたってくれる
きみの住む町にも
きっと とどいているよね
オモイドオリ いかないことの ひとつやふたつ
生きている あかし だれだって もっている
晴々した 気持ちだけの
のうてんきな 日々ばかりじゃ ないけれど
春のうたのような まほうのような才能を
みんな 生まれるときに もらってきていること
わすれていたら ちゃんと おもいだそうね
才能の一歩を うたうように ふみだそう