偏差値で合格不合格を決めるわけではありません
今も存在しているか分かりませんが、大学受験にセンター試験8割戦法というものがありました。足切りの要素か高いセンター試験はほどほどにしておき、その分の時間を志望校の出題傾向に特化した勉強に当てるというものです。
偏差値という言葉はそれと同じように8割がたの理解でいる人が多いと思います。
テストの得点が平均点付近だと、偏差値50近辺にり、自分が全受験者の中でどのあたりに位置しているかを示す指標である、というぐらいの認識でしょうか。
特に文系だったりすれば余計にそうでしょう。
一方、進路室などに張られていたり、予備校の資料に入っていたりする、一覧表の大学名の隣に記された偏差値表は何をあらわしているのでしょうか。
もちろん自分の偏差値と照らし合わせて、勉強の目標を立てたり合否の可能性を計るものでしょうが、あの表は大学が「この偏差値以下の人は入学できません」と言っているものではないのです。
前年までの個人の受験結果の統計を参考にした目安にすぎないのです。
ですから、偏差値を超えているから安心だとか、達していないから絶対不可能だということはありません。
さらに、発表される大学の偏差値はどんなに新しくても昨年の統計から得られたものでしょうし、それと比較する受験者自身の偏差値も受験直前では行われることのない模擬試験での値です。
そのような漠としたものが、大学の偏差値です。
受験生から見るにその順列とは非常に重要であり、一つでも上ならそれだけいい企業に就職できると考えてしまいがちです。
しかし、これは先の話ですが大学入学後の社会は数値の順列通りに行くことの方がまれになってきます。
また企業も学閥こそ存在する所があるにせよ、ただ単に大学名だけで採用をきめたりはしません。
大学生活でやってきたことや、人間性も見られます。
ですから、偏差値だけで大学や学部を選ぶのではなく自分の将来を見据えた志望校を設定するようにしましょう。アダルトサイトクーポン
志望校の決定にあたって
数年前に、息子が高校受験をしました。その時の体験談を父親の立場から書いてみたいと思います。
志望校は、都立高校で、サッカーが強いので有名な学校でした。
無論、都立高校ですから、あくまでも試験に合格しなければ入学できません。
という事で、サッカー部に入りたい子が殺到して倍率が上がっていました。
学力で見た場合、安全圏とはとても言えず、担任の先生からは「もう1ランク落とす様に」指導を受けました。
しかし、子供の意思を確認したところ「どうしても、この学校に入りたい」との事で、志望校の変更はイヤだという話でした。
とは言っても、中学浪人などさせる事はできませんし、本人もそこまでして入りたいワケでは無さそうです。
寧ろ、行きたくもない学校を受験して、合格しても嬉しくないから、というのが本音だった模様です。
確かに、その気持ちは判ります。
3年間も通う学校ですから、「学力にあわせた結果、ここでも仕方が無い」なんていうワケには行かないでしょう。
もし、そうやって学校を選んでも、その学校に愛着を持てるか判りません。
結局、中退という事になるのであれば、最初から行かなくてもあまり変わりがないと感じました。
母親は不満そうでしたが、私が押し切って、志望校である都立高校を受験させました。
落ちたら落ちたで、その時にまた考えよう、と子供とは話してありました。
もともと、「世間並」の流行に合わせる気など皆無な子でしたから、ここで大きく人と違う人生になっても、大丈夫という気がしましたし、「俺はこの程度が適当」というタイプの人生となる事は、親として望んでいませんでした。
また、「倍率が上がった」という情報を見て、志望校を変える子も少なくないはずだと思いました。
あまり勉強はしなかった子ですが、ある意味では「人生をかけた」勝負に出たとも言える状況で、本番ではそれなりに頑張るのではないか、と。
親バカかも知れませんが思ったワケです。
結果は合格でした。
大人になる、という事は、自分の人生を選択できる様になる、という事だと思います。
親が横からゴチャゴチャ言う事はできますが、それが本人の為になるかは判りません。
大事なのは、やはり本人の意思で、最終的には、それを第一に考えてやるのが親の務めである様な気がします。