【短編小説】 「えんか」 ② | 失語症作家 小島恒夫のリハビリ・ノート!!

失語症作家 小島恒夫のリハビリ・ノート!!

自ら作家と名乗る人間にろくな者はいないでしょう,他の方はともかく。私は2000年、脳出血を患い失語症になりました。そしてリハビリの一環として文章書きをしています、作家のように――。
何はともかく、よろしく!  (1941年生まれで、現在・80歳になる単なるじじい)

 

 

 

 

【短編小説】

「えんか」  ②

 

 

 

 

 智子の親は度々マンションを訪れたが、康宏は驚かされることが多かった。金銭感覚がまるで違う。五十万もするスーツを、いとも簡単に「ほうー、これは安い」と言い放つ。二万のスーツを、あれこれ見比べて選ぶ康宏と雲泥の差があった。康宏は母一人子一人の家庭で育っている。買い物の基準とすれば、安いかどうかが基本で、買うまでも時間がかかった。一方智子の両親は、東京から新幹線で二時間ほどの地方都市にいて、主に不動産収入で生計を立てていた。

 

 

 

 廊下をずかずかと歩く、智子の父親の足音も康宏は気になった。決して義父は横柄な人ではなく、むしろ穏やかだが、智子と似て角ばった顔に大柄な身体をしている。ずかずかと感じてしまう康宏にためらいもあるが、思ってしまっては仕方がない。その義父と何を話せばいいのだろうか、どう持て成せばいいのか、考えれば考えるほど言葉に詰まって萎縮した。それに反して康宏の母親は、余程のことが無い限りマンションへ来ようとしなかった。結婚式での智子一族の豪華さを見せられると、母親も康宏同様に驚き知らず知らずに萎縮していた。

 

 

 

 付き合いの中で、智子は自分の生活環境や経済状態をあまり話さなかった。話せば自慢話に取られて嫌味を言われる、小さいころからの経験がそうさせていた。何不自由なく育って諍いもない日々を送っていると、無意識にその尺度が身に付いてしまう。優雅さや優位さ――。それは智子が気付かなくても、ちょっとした言葉の端々に表れてしまい、相手を傷つけてしまう。康宏は結婚以来その尺度の違いに驚嘆し、イライラし、越えられない畏怖を感じ挫折していた。

 

 

 

 

 

「結局どういうことなのかな、傍では問題無いように思えるけどね」

二人が別居を決意すると、中川が康宏のスマホに電話をかけてきた。四人は卒業後も親しい間柄だったので、智子から美香子に連絡が入ったという。

 

「問題が無いのが問題かな」

「何だいそういう言い方は、禅問答か」

 

 中川が呆れるが、正直康宏はそんな言い方でしか答えられない。また上手く説明出来たとしても、自分の気持ちと智子の見方は違うと思うから、片方が一方的に想いを述べるのはいかがなものかと考えた。

 

「とにかく詳しい話は会って聞くけど、別居しても俺たちの付き合いは続くんだから、その辺を考えてくれよ」

 

 

 

 

 中川は電話を切ったが、康宏は母親にも伝えていないことを思い出した。いずれ言わなければならないが、タイミングがある。それに伝えても、心配の種を増すだけで何の得にもならないだろうと考えた。母親は突然マンションを訪ねて来ることはしない。部屋の固定電話にかけてくることもない。連絡は決まって康宏のスマホだ。別居を伝えない限り知り得る方法がない。正式に離婚となればそうはいかないが、時間を置いた方がいいと、伝えるのを止めた。

 

 

 

 

 一方智子は、家庭生活のギクシャクを母親と美香子だけには話していた。康宏がどうして口数が少なくなってしまったのか、どうして欲しいのか、何が不満なのかさっぱり分からない。母親は最初、康宏の不倫と仕事での不始末を疑ったが、そんな事実は無いらしいと分かると、「少し時間を置けば」とアドバイスした。更にそのことに執着するのはよくないことだから、何か気晴らしになることを考えなさいと言い、子供のころに習っていたクラシックバレーを勧めた。

 

 

 

 

 美香子も相談を受けていたが、もっぱら聞き役に徹していた。夫の中川に言わせると二人は友だちだし大人だ。康宏が何も言って来ない段階で、一方の肩を持つ真似は感心出来ることではない。いずれ康宏も何がしかを言ってくるだろうから、その時まで待ってもいいと思う。美香子はそうした夫との会話を伏せて相談に乗っていたが、状況は好転する兆しを見せなかった。

(つづく)