【短編小説】
「えんか」 ⑤
それから半年ほど後。時々智子の近況を知らせてくれていた中川が、面白い情報を康宏に伝えてきた。
「女はしたたかなものだね、むしろ俺は偉いと思うよ。智子な、フラダンス教室を始めて繁盛しているよ」
スタジオ開きには中川夫妻も何かと相談され裏方をやったが、智子が康宏にも招待状と言い出した。しかし中川は、時期も時期だから次回と答えて内緒にさせた。更に業界誌やインターネットに広告を載せると、かなりの生徒が集まって来た。
「今の年寄は元気だからな、時間を持て余しているよ。年金があるから五、六千円は屁でもないらしいな」
内職の段階から一気に事業の域に変貌しているという。智子は事業家としての父親の血筋を引いているのだろう。中川は感心した口ぶりで言った。具体的には午後の部は三十人ほどで夜の部は四十人ほどいる。それが週の六日間続く。授業は週一回で月に四回が原則だが特別料金を払うと、何回でもOKのシステムになっている。
「一人六千円として、経理専門家のお前なら簡単に月の水揚げが分かるだろう」
しかも智子は、二号店から三号店、四号店まで構想に入れている。父親も東京進出の拠点になるのではないかと考えたから、成功するだろうと中川が付け加えた。
「どうだい康宏」
「何が」
「経理担当重役として入ったら」
「俺が」
「そうさ、元は夫婦だし問題ないだろう」
「そうはいかないよ」
「そうかな。智子も、お前が経理担当なら安心して経営に専念できると思うよ」
俺にも意地がある――。
康宏はその言葉を飲み込んで電話を切ったが、やるせない気分がふすふすと湧いて、心全体を覆い隠した。
その後シャワーを浴びて汗ばんだ身体を洗った。程よく利いたクーラーの部屋、バスタオルを腰に巻くと、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、栓を威勢よく抜いた。更に一口飲むと部屋の灯りを消して椅子に座り、足をサイドテーブルに投げ出した。冷えた液体が康宏の喉を通過すると、知らず知らずに歌をつぶやいていた。
お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶったイカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
……… ………
……… ………
暗い窓の遠くには、新宿辺りの夜景が一際きらびやかに映えて光っていた。
(つづく)