妻が亡くなりました。
生前、御厚情あった方々に感謝申し上げます。
妻が亡くなってから、49日納骨法要までの痛恨の記録です。
一人息子との確執が深まり窮地に落とされ、静かな環境での供養はありませんでした。
郵便物の『受け取り拒否』・・息子自身の物なのに受け取り拒否されるとは想定外でしたw
これで事務的な連絡手段も失うことになる。
郵便物は今後届かなくなります。
よほど私からも要求が嫌だったようです。
電話ではなく、葬式の打ち合わせ、詰めた話をしたかったので家に呼んだが仕事でいけないと断られた。
ならば、急いでいるので費用の半分を持ってくれと言ったら、息子は電話で「直葬でやってもらいな」と鼻白んだ声が聞こえた。
少ない夫婦の年金の補助に医療、住宅扶助を受けています。
申請に反対していた私を説得したのは、妻と息子だった。
突然息子が会社を辞めて扶養の社会保険証が無くなりました。
福祉事務所からの臨時の検査で助けられた。血圧は230にもなっていたのです。
何なのだこの会話は?
頭が真白になりました。
葬儀社との打ち合わせ、通夜、遺体搬送、葬儀、火葬の一切が私に投げられた。
四日間の霊安室面会に来たのは一度だけで、わざわざ葬儀社さんから彼の面会を伝えられました。
霊安室の面会では・・
「老けたな。歳いくつなの? 80なの?」と無神経に聞いてきた。
「お母さんはおいくつだったの?
何の病気だったの?
世話は誰が見ていたの?
お葬式はどこでするの?
親しい人こそ、焼香の準備するので、日程、場所を聞くのは当たり前です。」
息子夫婦は答えられなかったのですね、私に全部投げていたから。
そして、納骨までも投げてきた。
息子夫婦に何度も費用と参列を懇願しました。それが「受け取り拒否」の排除対象とされたのですね。
しかし、世間の目があり、両親を棄てたとの本音は言わない。
AIが作る粗製乱造の「毒親対策」のような反応でした。
遺影・お花・死に化粧・仮位牌、枕教・・福祉葬の扶助には含まれていない。例えそうでも親族が出し合って工面しているのが世間。
哀れな妻の姿を私は見せられた・・
妻が可哀そうで、可哀そうで、滂沱として涙が止まりませんでした。
タクシー代をお花とクリームを買うことに使う。
乱れたままの髪をすき、髪をぬぐい、整髪し、遺髪を保存した。顔にクリームを塗り、白粉をつけ、口紅をさしました。
そして、重いリックから末期の水の入ったボトル、御棺の中の妻に着せる毛糸のセーター、ジーパン、下着と靴下、帽子と手袋、巾着にはお経と数珠、好物のリンゴジュース、小さなお菓子、幸せだった頃の親子三人の写真を持たせた。
生前の眠っているように幸せな顔になった妻に面会したのが一人息子だったが・・
「老けたな。歳いくつなの? 80なの?」と無神経に聞いてきた。くどかった。
歳さえ憶えていないのか。
亡くなった妻の納骨法要を息子夫婦の都合に合わせてくれるとのお寺の住職から連絡があり、急ぎ日時の調整をしたかったのですが、無視と受け取りの拒否にあった。
お寺に息子夫婦は不参加と伝えました。驚いておられた。
妻はアパートの更新が五月にあることを気にしていました。
更新料、保証代行、火災保険料は用意してあった。
息子がアパートの借主であり、息子口座からの自動引き落としで、私たちは居住者の立場です。
福祉事務所は扶養義務者の息子に責任を持たせたのです。その約束が破られた。
息子は、契約書を無視している。
追い出しにかかったのです。
番地と電話が奪われると、玄関で受け入れ、集荷発送の環境は破壊されます。
静かな供養の場所が奪われます。
保証人もいない高齢者の住宅確保の困難さは、政府が認めている事実です。
転居先の目星もついていない状態で追い出されるとは思わなかった。
振り返ってみれば、霊安室での彼の目は「人殺しの眼」でした。
あえて解釈を避けた。
しかし、追い出す冷たい仕打ちに納得せざるを得ません。
父親が「自殺」することを望んでいるのですね。乾いた笑いしか出ない。
危うく「散骨」というマヤカシで遺骨を棄てる息子夫婦からお寺に避難(納骨)する妻を守る覚悟ができました。彼らは放置するだけでお墓を守らない気だと悟っています。
ボケていられない。頭脳は回転しています。
読者の方へのお願い・・
保証人なしの条件で2年間だけ住宅(41,000円・シェアハウスでも)を提供してくださる方がいたらご一報ください。6月初めからの転居希望。バスがある相模原、八王子周辺の物件なら最高です。酒たばこパチンコはやりません。ボデイーガード(声だけの)・丁寧な留守番も出来ます。
メッセージでご指定された日時と駅へ駆けつけます。
よろしくお願いします。
tarooza