大森マサラ終了。タンバリン叩きすぎて爪が折れました。 しかし心は折れない! 次回も絶対参加します!! 美筋肉みてキャアーッとあられもなく叫ぶなんて、マサラじゃなきゃできないよ

 

大森マサラ『バンバン!』の回。おなじみアンジェラさんのダンスレクチャーは相変わらず判りやすい! それで練習してると何か自分も踊れるんじゃないかな~♪って気になるんですが、実際映画で流れる曲のテンポに合わせてっのはとんでもなく難しい!それでも踊った!だって「トゥメリ」なんだもの

 

今日の観客はみんなノリがよくて「トゥメリ」でたぶん総立ち。だって真ん中辺りで一人だけ座ってたらスクリーン全然見えないもんね。そして踊る、踊る。とにかく「トゥトゥトゥ」で左の人差し指を振れればもうよし、手を叩く所が合えばそれでよしみたいな感じで、全員で跳ねて踊って楽しかった~♪ 

 

やっぱりさ~、前説もダンスレッスンも大事よね。その後の盛り上がりが違うもの。前にドリパスで『WAR ウォー!!』の応援上映行った時は前説がなくレギュレーションもはっきりしないまま始まったので、皆どこで応援すべきか自信が持てずほとんど音を立てる事もないまま終わっちゃったからね。空しい。

 

その点マサラは前説がしっかりしているし、しかも音を立てなくてもOKな紙吹雪が次から次にと舞い落ちてくるんですよ。これは気分がアガります。声を出すよりもこっちの方が実践ハードル低いって方もいらっしゃるのでしょうね。確かに「声」はスベることありますよ。でも紙吹雪はスベらない!これ大事 

 

そして「声」も「鳴り物」も、音にならないこの「紙吹雪」に猛烈に勇気づけられる! そうなんですよ、紙吹雪って異様なまでに周囲の人を鼓舞するの!! なるほど、パレードに欠かせないわけだわ(『インディ5』のパレードシーンでも紙吹雪舞ってた)ってわけで今日は声援もいっぱい飛んでました。 

 

まず最初に盛り上がったのはリティクsirがサングラスはずしてコヒヌールよりもキラキラ輝く双眸を露わにした時ね。それからはとにかくリティクsirの美フェイスか美筋肉見せるとキャーで、撃ち合い、格闘、爆発シーンではクラッカーで、BGMのノリがよければタンバリンで、と状況に応じた棲み分けで応援 

 

無発声応援の時は光り物が多いんですが、今回はマサラだったせいかそっちは少なかったです。まあ悠長にサイリウム振ってられるような映画でもないんですが。 しかし『バンバン!』マサラ上映向きだわ。川崎競馬場でも一部をマサラ用に解放してくれたらいいのに。トゥメリで踊り狂う人続出だよ、きっと

 

『バンバン!』後半になると物語の展開にひきこまれるのかそれとも応援エネルギーが枯渇するのか声援控えめに。私、ゾーラーワルのシーンで「ちょいワルさ~ん!」って叫びたかったんだけど、静かすぎてあきらめました。今度誰か一緒に叫んで下さい。エンディングでは再び総立のダンスタイム。楽し♪

 

大森マサラ、いつの間にかタンバリンのシンバルが2箇所しかなくなっちゃって(本来は6箇所)音があまりしなくなったので思い切り脚に叩きつけてたんだけど、今見たらまあ立派なアザができてますこと! 次は膝あてを持って行かねば。

 

 

#マスター先生が来る でセードゥパティさんが演じたバワーニって、なんつーか、需要のあるキャラなんだよね。ひとつのこと(悪事)に振り切っちゃって、他はどうでもよくなるってキャラだからさ。そしてそのために必要な事は何でもやっちゃうという行動力が素晴らしいのよ。まるでオタクのかがみ。
 
バワーニの考え方はいわゆる「普通」とちょっと違う。 ここでいう「普通」とは1と0の間に少数とか分数とか、様々な段階でのグラデーションがあるということ。1を黒、0を白とした時にそれらを混ぜた灰色が無数にあるように。でもバワーニは「白」と「黒」しか認めない。灰色は全て黒。すなわち死。 
 
現代においてその考え方は間違っています。全ての灰色を多様性として受け入れるのが理想の社会だからね。たぶん、バワーニ自身もそれは知っているのよ。でも自分の支配のためにそれを無視する。ぐだぐだ言わない。ただ、無視する。間違っていると思いつつ、たぶんそこがかっこいいのよ。
 
間違ってるのよ、バワーニは、もう根本的に。それは観客みんな知ってるの。でもさ、バワーニをそうさせた理由もまた観客全員知ってるわけで、なんか「仕方ないよね」って納得しちゃう。そこが脚本と俳優の上手さなんだよね。誰もが間違ってると思う事さえ、でも仕方ないと思わせちゃうパワーって。
 
それが映画のいいところじゃない? 私はバワーニは間違ってると思ってる。でもその上でバワーニかっこいい、好きだ♪って思ってる。だって、フィクションなんだから。彼は想像上の人物で、何をしようと現実には影響はない。だから私は無責任に「バワーニかっこいい♪」っていう。それがフィクション
 
でも、それさえもマズイ事なのかもしれないと、観客に思わせるのが『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』。前半だけの話だから、後半どう転んでつまんなく収束するかわからないという危険性をはらみつつ。今の所は物語が現実に及ぼすパワーの危険性について、描きたいのかなと思ってる
昨日は『インディ5』と『ラストファーマー』で主役がどっちも80才(だか82才だか)という映画を続けて見まして、トム・クルーズも80才まで(生きてりゃ)絶対現役でアクションやってるだろうと確信してきました。いざとなったら顔はCGで若返らせる事もできるもんね。 
 
#ラストファーマー 最初の方に野生の孔雀が出てきて、オスの飛翔シーン等の美しい姿だけじゃなく鳴き声もきかせてくれるんです。飼われてるんわけではないのですが、その姿を嬉しそうに(たぶん)見守っている年老いた農夫が主人公。この写真の人じゃありません。
 

 

 

写真の方はヴィジャイ・セードゥパティさん。マスター先生が来る 」でバワーニ演じた人ね。当然彼目当てで行ったわけですが、思いの外出番が少なかった。でも良い役でした。ある出来事から世捨て人同然になってあちこちの聖地等を巡っているんです。一途な所が『'96』を彷彿とさせます。何をやるにしてもやり過ぎなのよ、この人。

 

世捨て人の彼は最終的に纏う肉体も捨てて飛び立ち、迷える魂を見つけて地に戻し、役目を終えて飛び去った……。そんなちょっと不思議な役回りでした。彼の服装とか持ち物の意味についてもっと深く知りたかったと思います。とはいえ、これは映画の本筋じゃないのよね。

 

本筋は、まあ簡単に言うと雨乞いのために久しく絶えていた儀式を復活させようという村人の話なんですよ。例によってカーストやら縄張りやら宗教やらで反目はあるし、土地開発の奴らは農地を買い叩こうとしてるし、保護政策か何かのせいで女性達は昼間から農作業をする事もできないと、障害だらけの。

 

で、祭祀のために必要な稲の初穂を奉納してくれと頼まれるのが件の農夫。なんで80才もの高齢者に、というと彼しか残ってないから。農地を持っているのも彼だけなんです。仕方なく引き受けた彼は、一から稲を育て始めます。初穂を収穫するためには種まきから始めなきゃいけない訳で。大変な作業ですよ 

 

田に鋤を入れ、灌漑し、インド式田植えをやって……と、この辺が非常に美しい。ルンギ姿のお爺さんが一人で淡々とこなしていくのが絵になるんですよ。脚がいいのね、きっと(←何の話だ)。いや、植物が成長していく様子を見るのは単純にワクワクするし、尽力する人の姿には自然と頭が下がるんですよ

 

このままお爺さんが田んぼをやって、時折ふらりとやってくる世捨て人と交流する話なのかと思ってたら、違った! さすがインド映画、思わぬ展開をする。そしてここからが面白かった! この映画、村が舞台でも意外と都会に近いんですよ。何故って、警察が機能している。罪を問いに警官が来るんですよ 

 

そして当然のように無能で横暴でいい加減。そりゃこんな警察だったらいらんわ~と激しく納得する私。 そこに颯爽と登場する若い女性の判事。かっちょええ♪ 高い教育を受け職業を誇りとしているのできっちりと仕事をします。四角四面で賄賂もききません。自分より年上の警察官にガンガン命令を下す。 

 

ところが警官達は男だから女の命令なんてまともにきかない。表面だけ敬って、あとは有耶無耶になるまでほっておいて誤魔化そうとする。しかし誇り高く、カーストも高そうな彼女は負けない。でも融通も利かない。 この辺がテンポよく描かれて、それで困り事が膨らんでいくのが面白かったですね。 

 

村では初穂の他にも必要な物を作ったり、よその村に頭を低くして太鼓の演奏を頼みに行ったり(カーストが違うといろいろ大変らしい)、雨乞いの準備をじわじわ進めています。着々じゃなくてじわじわなのが、インド的ですな。でも一生懸命なのよ。一生懸命な人に、みんな協力しようとしていくのよ。 

 

というわけで、近代化の影響で分断されてしまった村落共同体が一つの祭祀を再現しようとする過程で失われていた絆を取り戻していくというお話なのでした。80才のお爺さんが一人で育てる稲は無事に初穂を実らせることができるのでしょうか? 乞うご期待。いや、おもしろかったんですってば♪