画家の雑記帳(編成版)
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新作完了。。



この絵は、「月刊ギャラリー」さんから
発売してもうらう、Dorado ArtBook Seriesの
「THE空想画BOOK」に掲載する予定の作品。。
今日からの、夏の旅行から戻ってきたらニス塗り。。
そして入稿と・・、毎度、ギリギリなパターン。。
ちなみに、1年前と2年半前にドイツに行ったのだが、
2年半前のドイツのとき、浮かんできた絵を
レポート用紙にスケッチし、、そのままになってたものを
今頃になってみてやっと作品にしてみた^^。
(こういうパターン、ワタシはたまにある。。)
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「私の夢見る時間」アキーラ&油彩・F4サイズ板

制作も終わり、やっとほんとの夏休みが朝から
スタートする♪




絵を描くのが好きでたまらないという人が羨ましい。。
制作はいつもたいていストレス。。
苦痛であり、苦行のほうが近い。。
画家もし、画廊もしてるくらいだから、
もちろん、絵は好きである。。情熱もある。。
さまざまスタイルの絵の研究も自分なりにしてきた。。
でも、なんというか、たとえばだけど、
ピカソのような豊かな線を描きたいと思ったり、
シャガールのような絶妙な色合いを出したいと思ったり、
はたまた、たとえば写実で人物を描くとして
ダビンチのモナリザのようなアンニュイな口元を描きたい
などなど、そんなこと思っても、そうそう描けるもんではない。。
何かを描く時、頭のなかに浮かんくる世界は
自分で言うのもなんだけど「名画」なのに(笑)、
筆の先から抽出される世界はその通りにゆかない(笑)
そう、そんなわけで、ストレスなのである。。
描いても描いても、欲求不満が残る。。。
と、こうした心の中で感じたことを、文章にしようとすると、
このようにスラスラと悩むことなく文章化できるのに、絵は違う。。
表現したい通りに画面になってくれないことのほうが
圧倒的に多い(笑)。。それでもずっとこんにちまで
描き続けてきてるのだから、好きちゃ好きだけど、
いつも苦痛を伴ってるってことになる。。そして
きっとこの苦痛は死ぬまで続き、でも死ぬまで描くんだろうな
とも思う。。
でも、仕事でやるような経理や事務の苦痛でないから、
どんなに苦痛でも我慢はできる(笑)
たとえばクリムトのフリッツア・リートラーの肖像は
ベラスケスの王女マリアテレサからヒントを得て描かれた。

(クリムト)


(ベラスケス)

古今東西、こういう事例は巨匠の絵画のなかでもよくあること。。
ピカソなどはある意味、剽窃の達人と言われるほど、
さまざまな作家の絵をモチーフに、自分の作品をたくさん
作ったりもした。。
また、いろんな作家で、絵画そのものはぜんぜん違うが、
明らかに名作の構図をうまく取り入れて描かれてるものなどもある。。
そういう点でいえば、美術の歴史は長いので、
過去の作品をたくさん知り学ぶことは、
制作のヒントの宝庫にもなりえたりもする。。

ここで、もう一点、ご紹介しておこう。。


コロー「真珠の女」

コローは19世紀フランスの近代写実派の画家にして、
のちの印象派のピサロ、モネ、セザンヌ、
そしてフォーヴィスムのマティス、ドラン、
さらにはキュビスムのピカソ、ブラックなど、
後に続く画家達にも多大な影響を与えたことで知られる。
この絵は、よく見ると、ダビンチの「モナリザ」と
ポーズが近似している。。

このように過去の名作などから、時には
モデルのポーズを引用した作品もよくある。
とくにこの絵に関しては、
ダビンチへのリスペクトなりオマージュの
要素も強いのではと思われる。。。
数多くの芸術家に影響を与えたコローも
ダヴィンチから大いなる影響をうけたといえる。。

美術史は、さまざなな芸術家同士の影響と作用の歴史
ともいえる、そんな側面もまたひとつにあるといえる。。




アートの世界で仕事してると、
「わたし、絵のこと、まったくわからなくて・・」という
言葉をたまにきくことがある。
それは、美術史的な知識のことや絵の描画方などがわかならい
ということなのだろうか。。
それとも、写実的な絵に対してならいいのだけど、
いわゆるピカソ的な、ある意味、わけわからん絵
に対して、「わからん」のだろうか。。

自分は画家も画廊もやってるけど、ピカソならともかく、
完全な抽象画などはまったくわからない(笑)。
多くの場合、感覚的に、いいなぁ~とか、たんい、ふ~ん、、とか
そんな感じだろうか。。
その抽象画も、それなりに資料もそろって勉強した
過去の巨匠のとかならある程度わかることあるけど、
そうじゃない場合は、作家自身からはじめて作品の解説きいて、
「わかる」ことが多い。
でも、それすら、頭だけでわかっても仕方ない気もするので、
なるべくなら、解説を聞くよりも、「感じるまま」に見ることを
自分では主としている。。

画家の立ち場から言えば・・・・、画家本人ですら、描きながら
「わからない」こともよくあります(笑)。
といえば、半分冗談ぽくもきこえるかもしれませんが、
たとえば、自分は空想画を主に描いてるわけですが、
空想というのは、「思い浮かんでくる」ものなので、
写生のように何かを見ながら描いてるものと違い、
多分に潜在的な要素が顕現している場合も多い。
厳密にいうと、そういう意味での描いてる本人の自分すら
「わからない」ことが多いというか。。。

抽象画を主に描くひとも、多くの方はまず心のままに、
もしくは直感的な感覚でドローイングする人も多く、
時には、あとから出来上がったものに対して、
後づけとして哲学的解説をつける人も
それなりにはいるようです。
あぁ、それは余計なひと言か(笑)

先日、古くからの友人と久しぶりに会った。。
最初の話題は、なぜか物忘れ自慢の展開に(笑)。
ちなみに我が輩、若い頃は抜群の記憶力を誇っていたので、
昔をよく知る友人からあまりにその変貌ぶりを惜しまれた(笑)。
月日の流れは老いと各種の劣化を生むが・・ww
まぁ「記憶力」は2~30年の間にかなり低下したけど、
でもこの2~30年の間に、若いころよりは
かなり「思考力」は向上したように思う。。
そっちのほうが大事なのだと自分を慰めている(笑)


「お店」というのは、店によってさまざま。。
千客万来というお店もあれば、わざわざ一見客お断りと
張り紙した店もある。会員制クラブもあれば、客引きまでして
とにかく誰でも店にいれたいというお店もある。。
上記は飲食業であるわけであるが、私も業種は違うが
アンティーク時計ショップ・アートショップ・画廊と
「お店」を経営している。僕の場合、基本、千客万来の姿勢では
あるけれど。とはいえ、自分の仕事の流儀というか経営姿勢
というか、そういうものはそれなりにポリシーをもってやってきた。。
「仕事」って、それによって報酬を得て、生活をするものだけど、
たんに「お金のためだけ」で仕事をしているわけではなく、
たとえばお客さんでも、もし稀に、すごく高飛車な人とかならば
「別に当店をご利用いただくなくてもけっこうです」
「別に無理して買っていただかなくてもいいです」等と
はっきり申し上げ、へ~こらしてまで商品を売る事はしない。
それは自分に利益や富を与えてくれる取引業者だって、
もし傲慢だったり、いろいろと問題をおこすようなところであれば、
もうタッグを組むことはしないだろう。。
それらによって利益が減ろうが少し困ることがあろうが、
やはり仕事は、それによってより豊かな生活にしていくための
ものであって、お金のためだけであまり気持ちよく仕事ができな
ければ本末転倒と思うからだ。。
そういう基準と心情で、かれこれ20年、お店を営んできたけれど
自分はそれでよかったと思ってる。なのでこれかもそう。
いまだに改めてそういうことを実感することがあるので、
気持ちの再確認として文章にしてみた。。。

今日もニュースで、小さな子供に首輪して、自分は夜遊びしてる
そんなバカ親がいたが、世の中どうしようもない親はいるもので、
人生、親だけは選べないが、社会にでたら、素晴らしい先輩や仲間
はたくさんいる。どういう人たちと交流を深め、自己の人生を彩って
いくかは自分次第で決まる。18まではとにかく我慢だね。。
親で苦しんでる人もいつかはその呪縛から離れ、自分の人生を
たしかに築いてゆく事を願うばかり。。この手の報道をみるたび
そんなことを思う。あと、自分が親となったときは、過去のトラウマに
負けず、自分が苦しんだり嫌だったことは子供にせず、自分の代で
不幸の連鎖を切るしかないな。大変だろうけど。。
大変でもそうしなきゃ、人生かわらんだろうなとも思う。。

イラストレーターというのは、一般的に
フリーであれ企業に属してる人であれ、基本、クライアント
からの依頼があり、そこから絵の制作をする。
もしそのクライアントがディズニーやサンリオなら、自分の世界観と
関係なく、そのクライアントの世界にそった絵を描かなければ
いけない。友人の女の子がとても素敵なファンタジックなイラストを
描いていたが、最近勤めた会社の仕事で、恐竜図鑑の担当となり
毎日のように◯◯ザウルスとか朝から晩まで数ヶ月も
様々な恐竜を描いていて、それを嘆いていた。。
まぁそういうもんだと思う。
若い頃、自分はコピーライターしてたけど、同じくそういう
日々だった。。画家はその反対で、依頼なんてまずない(笑)なかで、
自分の好きな世界観で絵を書き、広く一般にどないでっか?と
する世界なので(笑)イラストレーターのそれとは似て非なるもの
である。。ちなみに、余談ですが、こういう文章やさまざな記事も
まったくお金に結びつかないが(笑)、コピーライター時代とは違い、
毎日、ただ好き勝手なことばかり書いているのでとても楽しい。
仕事でずっと文章作成してるときはプライベートで
文章など書く気にはなれなかったなぁ。。

殺風景で陰鬱な空気感を押し付けてくるような街並って
やっぱあるもんで、また、ガヤガヤして人がせわしなく
しているようなところも心落ち着かないもの。
美しい風景の中では、誰もが心穏やかになるもだし、
都市においても、利便性や商業性ばかりを重視しないで、
もっと景観というものを重視してもらいたいなぁと
常々感じる次第。。。
この国はもう何年も前から観光立国だなんて政治家が騒いでるけど、
いろんな意味でセンスなさすぎで、白々しくしか聞こえてこない。。
ただ近代化して、大型化された商業施設がどんどん増えて、
どこもかしこも画一化して、そしてゴミゴミして・・・。
(特に都心部のことだけど。。)そして
街のなかのアートも、たんに飾り物的存在でちらほらしてるだけ。。
同じ近代化でも、もっと日本の独自性を生かした近代化
になればまだいいけど、そんなのは街のなかではあまり感じられなくて、
日本独自の良さを感じるのはたとえば、露天風呂に行ったり、
富士山見に行ったりとか(笑)、そんな田舎に行ったときくらいだ。
NY、PARI、LONDON、欧米の先進国の都会に比べ、
TOKYOはただ近代化ばかりの重視をしてきて、
過去からの継承されてゆくべき歴史文化との調和性や
日本独自の伝統的な美しさなど、大事なところを
あまりに見落としてきてるような気がするんだな。。。
個々に秀逸な建造物などは各地にいくつもあるけど、
全体の街や都市の景観としては統一感も調和もなく
少なくとも世界中から人気を集めるような観光立国
にはほど遠いと思うんだな。。。


ふと思うこと。
これまで人の記事でちょこちょこと見かけた内容なのだけど、
「絵を描く人」の呼び方について。。
べつに・・・絵描き、画家、作家、美術家、アーティスト、芸術家、
まぁそんな呼び方なんて、自分が使ってしっくりくるものを
好きに使えばいいんではと、個人的に思うんだな。。
周りの人にどう思われようと。。(売れる売れないに関係なく画家だし、
自分が芸術家と思うんなら、堂々と私は芸術家ですと言えばいいのだと・・)
またそんな論議するほどのことでもあるのかなと。。
でもまぁ日本人はけっこうそういうの気にするのかもしれないけど。。
ただ、大事なのは、そういう呼び方そのものより、ちゃんと、たゆむ
ことなく制作してるとか、作家活動をしてるとか、そういう内容
のほうがぜんぜん大事だと思うんだよなぁ。。。