画家の雑記帳(編成版) -2ページ目


<飛犬>小原聖史作
FO号の木板。(絵の部分)アクリル・油彩・
工芸漆など。(縁取部)石膏粘土に金彩。
「NEO琳派展」出品作品



特に首都圏だけど、賃貸に住む方はとても多い。
勝手に壁にぼんぼんと穴あけれない。
絵画は、たとえばサムホール(長辺23cm程度)あたりで、
すでに額装すると、押しピンでというわけにもいかない。。
そんなわけで、この絵いいわぁ~なんて
思っても購入できない場合もある。。
一方、たとえ持ち家でも、何枚も絵を掛けれるような
広い壁スペースを持った方となるとこれまた少ない。
一般的な2DKや3DKでは、テレビやタンスやいろいろ置くと、
すぐに壁のスペースなどわずかになってしまう。。
そんなわけで、大きな絵になると、ことさら
作品を気に入ったとしても購入が難しくなる。。。
先般募集した画廊企画の「手のひらサイズ」のアート展は
これまでかなりの人気なのだけど、、それは
サイズがミニチュアで安い価格帯で購入できるという
ことだけでなくて、きっとこういう住宅事情背景も
あるからに違いないと以前からそう思ってる。。。
[ヴァルール]
まぁ、この言葉を完全に説明すると、
ややこしい&めんどくさい内容になるので、
(興味ある人は)どんな感じかといえば、
wikiでも見てください(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/バルール
でも、たぶん、こういうのに書いてる説明だけだと、
専門外の人はまずわけわからん人が大半だと思うので・・、
くだけて書くと・・・、
たとえば、上手~い画家の、人物の顔の絵なんかでも、
画面近くでみると、おじさんの眉毛をちょんと黒で描いてるだけなのに、
離れてみると、『うわっ、ちゃんとリアルに眉毛みえる~』
といった感じだったり、そんなふうに、色そのものだけでなく、
ちょっとしたまわりとの位置関係や隣接する色どうしの相関性などで、
対象物の見え方がおのずと変わってくる。。
はたまた微妙なかすれとか、単色でも濃淡の使い方とか、
まぁそうした総合的なテクニックで、物体であれ、
光り加減であれ、的確に表現していける世界。
うまくそうした関係性がかみあってれば
バルールが合ってるという使い方がされ、
合ってないとバルールがおかしいねとかになる。。
いろんな絵にも当てはめれるけど、特に、写実絵画の世界なんかでは、
かなり絵画の根幹とされる部分なのでこのバルール性が要求される。

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ちなみに、作家向けの余談エピソード。。
かつて佐伯祐三が渡仏した際、
フォービズム(これもそのうち解説^^;)の
ブラマンクのもとを訪れ、自分の絵をみてください・・と言ったら、
「なんだこの絵、バルールがまったくあってないじゃないか~」
と即座にどやされたという逸話がある。。
という風に、ああいう乱雑チックに描かれた絵の世界でも、
バルールがどうかってすごく大事なこととなる。。
まぁ、佐伯さんのその後の進化がまた凄かったわけだけど。。。
デッサンとくれば、石膏デッサン、人物デッサンとあるので、
モデルについても語っちゃおう。
まず、これは特に説明の必要もない絵のモデルのことである。
一般に着衣モデルとヌードモデルがある。。
では意外と知られてないヌードモデルの世界をご紹介しちゃいましょう。。
世に、タレント事務所があるように、絵画(彫刻)ヌードの専門の
事務所があったりする。
個人の画家などの知り合いとしてモデルをやる以外は、
一般的には、この「事務所」から派遣されて、
美術系の学校や画家の個人宅にモデルが行くことになる。
ちなみに事務所の規模にもよるが、50名くらいとか普通在籍されている。
学術機関以外では、画家は証明書類など提出して登録すれば利用できる。
サイトではいろんな体型のモデルさんがすっぽんぼんで掲載されていて、
「あ、この子がいいなぁ♡」と選んで、申し込んだりする。。
(なんか長くなってきたぞ~w)。
ちなみに、一般的に1日(実働4時間程度)の契約で
15000円ほど。うち事務所が5000円とかなので、
モデルさん自身には1万といった日給となる。
その中には交通費なども自腹なので、あまりよい待遇とはいえない。
それで、何時間も人前で、学校なら多くの人に囲まれての裸なので、
よほど美術芸術の世界に対するボランティア的精神というか、
そういう気持ちがないとできないかもしれない。。
多くは、デッサンや写実系絵画の方が利用する場合が多いけど、
ピカソがああいう絵でもモデルを使っていたように、
いろんな絵のモデルになることもある。
我が輩も一時、利用しておった。
(なんか辞書的でなくなってきたなぁw)。
そのほかに、画家の人であれば、
公民館などで開催されてる各種美術系団体のクロッキー会デッサン会など
であれば、裸婦であっても、3000円とかで利用はできる。

[デッサン]
目の前にあるものもちゃんと描けないで
抽象もくそもないやろ~という前提の美術の基礎修練。
美大や絵画の専門学校へゆけば、進む方向性に関係なく
まずはたいていここからスタートとなる。

弟と久しぶりに電話で話してると、
「いつも幸せそうでえぇな~」と言われた。
(おまえは不幸なのかと言いたい/笑)
まぁよく言われることではあるが、
でも、基本明るいので、いつも元気だけど、
なんちゅうか、たとえ悲しい時とか辛い時とかあっとして、
それで暗く沈んでるなんて、ある意味、簡単なんだと
思うんだなぁ(個人的見解w)。
ちなみに我が輩、小さい頃から例えば家で嫌なことあったりして
すごく気分がふさぎこんでも、学校の門入ると、
イェ~イって感じで、どうもあまり、人前で
悲しむとか凹むとかって苦手だったなぁ。。。
そしてそのまま大人になった。。まぁそういう性質だから、
きっとかりに不幸なことが起こっても、
人からはそう見えないだろうな。。。
それに、少々のことなら、不幸すらネタにしてしまうし・・(笑)。


なんかちらちらニュース記事よんでて、
あいかわらず今年になってからも殺傷事件とか、
いじめとか、虐待とか、クレーム騒動とか、
ストーカーとか、まぁその手のことが日常茶飯事の
ごとくあふれるほどそんな記事があって、
ふと思うというか、現代は感情をコントロールできない人が
あまりにも増大してるんだなぁとつくづく思う。
たとえ、大きな事件にまでならなくても。。。

たとえば現代は江戸時代よりかなり物質面も都市整備も
さまざまな産業も科学も発達したけれど、文明は栄えるどころか、
かなり病んでいってるのでは・・と思うばかりである。。
鬱になってしまう人の数も、はたまた自殺者の人口も昨今、
すごい増大してるわけだけど、極端にいえば、
やはり江戸時代とかのほうが、
ぜんぜんそんなことはなかったと思うんだな。。
(だからってべつに江戸時代がいいとかいうわけでなくて。。/笑。)

まぁ、どんな時代でも、個々において、さまざまな苦しみも
煩悩も多いわけだけど、そのなかで、
人生をより豊かにしていける人の必須条件は、
複雑化しつつあるいろんなコミュニケーションのなかで、
うまく感情をコントロールしていけることがなにより大事かな
なんて思ったわけです。あと、ついでの蛇足ですが
ブログでも、いろんな価値観の記事があって、
ときおり口論とか炎上とかも見かけるわけだけど、
自分の考えや心情に合ってないからと、
すぐ感情むき出しになってしまうような人は、
こうしたブログでも結局は楽しくやっていけないんだろうな
と思うし、人も離れていくんだろうなと思う。
同時に、日常であっても、こうしたブログであっても、
たのしく有意義にやってける人は、
見た目だけではわからない精神力とか成熟さや
聡明さがあるように思う。まぁ、なかには
ただたんにノーテンキな人もいるんだろうとは思うが(笑)。

ともあれ、怒りや不満といった感情を
すぐそのままあらわににだしちゃう人も、
かげで陰湿になっちゃうような人も、結局は、
周りを困らせたり不快にするだけでなく、
何より本人そのものが苦しさや枯渇の流転を味わうことになると
そう思うんだけどな。。。
なんか長く語ってしまった。。。(苦笑)

某美術企画会社からセールスの電話。
いちおう聞いてあげる。
「このたび先生のお作品を拝見しまして・・」
などとはじまるが、
「いったいどこで拝見したの?」とかさっそくつっこみ、、
「あ、あの、、、インターネットとか」とさっそくしどろもどろ(笑)
その後、きいてれば、あ~だこ~だ、とにかく
あまりに回りくどいセールストークが続くので
「あの、最初に手短かにって言ってるでしょ、
そんな営業トークいらないから、はやくどこの展示会場で
料金はいくらでとかそういう具体的な話しをきちんとして、
それでいかがですかとか簡潔に話しなさい」と説教する(笑)。
「あ、はい・・・あの、◯◯という会場で・・・
それであの、、ぜひ先生を推薦したいと思いまして・・あのこの
推薦は全国で◯名のみで・・ぜひご参加を」などとまた始まったので(笑)、
「あの~、推薦とか招待とか、軽々しく言葉をつかって
参加はいかがとかもう少し言葉遣いに気をつけなさい。
まだ、結局、料金とか言ってないけど、推薦とか招待というのと
それで実際、料金かかるのは誤解を招く紛らわしい説明だよ。
自分でも言っててわかってるでしょ。
それで、どうなの、料金も実際にかかるわけでしょ??」
「あ、はい、、すみません、かかります。。。あ、あ、あの・・」
とかなり困惑してる感でてきたので、このくらいにしてあげよう
と思い、「はいはい、もういいです、忙しいのでそのへんで説明は
けっこうです。」と電話を切ってあげた(笑)。
わたしはまわりくどいだましだましな喋り方がとても嫌いです。。


なんか首相が大雪の日、会食会で天ぷら食ってたとのことで
大荒れの「炎上」があったようだが
(まぁ関連記事、いろいろ読んだ)、まぁ、それはともかく(笑)、
自分はこういう論争それ自体、どちらを擁護する立場でもない
のだけど(まぁ、激しいやりとりはつい読んじゃう、、、)、
特に政治的な記事というのは、「右」か「左」かそれぞれの立場
で荒れやすい。たまにそういう中で所感するところは・・
自分は右でも左でもないつもりで、真ん中でもないつもりなのだが(笑)、
なんというか、「北風と太陽」じゃないけど、
寒いときはコート着て、暑くなったらコート脱いでって感じで、
最初から右ありきでも左あきりでもなく、もうちょいバランス感覚
もって、その時々の状況のなかでそれぞれが判断できんもんかなぁ~
なんて思ったりする。どっちも極端な思想の対立軸からはじめると
いつまでもたってもいたずらに水掛論的かつ激しいなじりあいに
終始しちゃうんじゃないかなぁ~と思うのである。。

作家仲間のSNSをみたり、またいろんな会場で見聞したり・・
という中で、よくあること。。
自分の作品を貶されて凹むというパターン。。
よく気にされてる方が見てて多い。。
自分なんかの経験でいうと、絵の描きはじめた初期のころ
(もうかれこれ10年くらい前だったろうか・・)
個展というほどでないけど、近所のいきつけの喫茶店のご好意で
作品をいろいろ展示してもらったことがある。。
そんとき常連であった、あるクラッシック楽団のチェロリストで
すんごいインテリだし、美術にも造詣の深いおっさんに
はじめて、こてんぱんに言われたかな(笑)。で、凹んでると、
こんどは、超美術コレクター(ザザビーズとかでも絵画購入
しまくってる、大きな出版社(まぁヌード写真集中心だけど/笑)の
社長さんにベタ褒めされ、処女作を買うとまで言われ、さらには
ご自宅にも招待され、名だたる有名作家の大量のコレクションを
みせてもらえたりもした。。
まぁ、極端な一日であったが、結局、観る人の主観で
いくらでも変わるんだなぁ~と客観的に思った。。
作品自体は変わらないに。。いいとか悪いとか、そんなことより
あまり周りの意見で一喜一憂しないでおこう、ってワシはそんときに
強く思った。調子こいて、もう少し長く語ると
(まぁ、興味ある人だけ読んで♪)、
たとえば、著名なそれを仕事としてる美術批評家とかならまだいいけど、
ブログとかSNSでも町の美術批評家気取りのおっさんとかはいるもので、
なんの権威もなければ、ろくに絵も描けないくせに、
あちこち寄せ集めの美術知識であ~だこ~だ言ってくるやつ
はいるものです(笑)。そういうの手合いは、そういうことが好きなだけで、
実際、美術を愛してるのかどうかははなはだ不明だ。。
画廊という場所にもそういう人が来ることもあるが、
その手の方で絵を買ったことは見たことがない(笑)。
とにかく知識ひけらかしつつ文句いって、我貴し、みたいな
世界に酔いしれるのがなによりの楽しみな悪趣味人間であるのだ。。
そういう手合いにいちいち扮動されてちゃ、いけません。
己の信じる道を、たんたんとたゆまなく歩み続けるのです。
売れないときはゴッホを師とし(笑)、もし調子良く売れて人気が
出だしてたら今度はピカソを師とし、どんどん新たな挑戦を
していくべきです(笑)。それに便宜上でいうけど、ずっとやって
れば、(お金じゃないけど)うん十万も出してでも、自分の作品を
買ってくれるような人がそれなりに現れてくるもんだと思います。
そんなけ、自分の絵に惚れ込んでくれる人というか。。
そういう人のために頑張ればいいし、所詮、万人にうけるようなこと
はそうそうないし(まぁあってもいいけど/笑)、
自分の絵を好んでくれない人から、余計なお世話でガタガタいちゃもん
つけられたって、気にするに値しないと思うんだなぁ。。
もちろん、師と仰ぐような人とか、そういう方からダメ出しくらったら
謙虚に受け止めさらに精進してゆけばいいだけ。。
町のシロウト美術評論家もどきに貶されいちいちに凹んでるようでは
画家なんていう厳しい世界で生きてはいけませんと断言しておきたい(笑)