映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね -22ページ目

映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

映画のネタバレ・あらすじ・キャストを最終回までや日本、韓国、中国、米国の映画・ドラマから面白いものを選んでネタバレ・あらすじ・感想を書いています。 

※2015年11月17日の記事を加筆修正しています。
タイムスリップ・タイムトラベル・タイムループの物語 ネタバレあらすじ他 まとめドラマ 神はサイコロを振らない ネタバレを含む感想

ドラマ 神はサイコロを振らない ネタバレを含む感想

ドラマ 神はサイコロを振らない 概要



1996年に消息を断った壱岐発長崎行きの飛行機402便が、10年後の2006年に長崎に着陸するという怪奇現象が起こった。
しかも、乗員・乗客らは10年前と変わらぬままの姿なのだ。
いったい、これはいかなる現象なのか?

遺族らは、失われた10年で暮らしぶりも変化していたが、この思いがけない再会に歓喜するものの、
やがて、この再会は10日という期限付きである事が判明し…。

2006年1月18日~同年3月15日まで、日本テレビ系列で毎週水曜に放送された。
原作:大石英司
脚本:水橋文美江
演出:佐藤東弥、南雲聖一
ジャンル:SF
放送日と話数:毎週水曜22:00~22:54 全9話


ドラマ 神はサイコロを振らない ネタバレを含む感想


このドラマは論理が破綻している。

「神はサイコロを振らない」は、大石英司の同名小説を原作としたドラマ。

タイトルの「神はサイコロを振らない」とは、アインシュタインが述べた言葉という事で、
量子力学上のアインシュタインの言い分をそのまんま支持したんやね。

それをSFのタイトルにするのは一見すると洒落ているが、
アインシュタインの量子力学上のその言葉の整合性はともかく
ドラマの中の世界(ある日の積乱雲の中)にブラックホールを潜ませた時点で、
作者の大石英司という人は、
量子力学を、多少なりとも、わかってドラマを作っているのかどうかすら怪しい。

なぜならば、ブラックホールの破壊力はとてつもなく巨大で、
それが存在する周囲にある物質は、惑星はもちろんの事、星雲ごとでも、
すべて飲み込まれてしまうというのに、
それが、穏やかに地球の上空の積乱雲の中に、
こっそりと気配もなく隠れていたなどという設定が、既に破綻している。

ちゃんと科学的に言うならば、
万一、そんなところにブラックホールが出現したとしても、
航空機一機だけ吸い込まれて済む話ではなく、
地球丸ごと飲み込まれてしまうのが、どうやら真実のようなので。


設定からして無茶苦茶のこの小説及びドラマに大感激している人ばかりが、
ネット上には目立つが、
こういう話が、どうしてSFというジャンルに括られているのかが、私には不思議。

SFとは、サイエンス・フィクションという意味だよね?
つまり、科学とフィクションの合体だ。
だから100%科学的なものを求める気は毛頭ないが、
作中に科学者まで登場させてもっともらしい理論をぶちかますならば、
全く素人レベルの知識もない人が書いたとしても、
もう少し、整合性を求める努力の跡が見受けられてもよかったのではないだろうか?

【以下は追記】
このドラマに現れるブラックホールは確か直径が1mm前後と言っていたので、
それほど極小なら、地球ごと吸い込むほどの力とは程遠く、
傍に近づいた航空機を吸いこむくらいの重力しかないという解釈のようだった。
ごめんなさい。
ただ、もしそうだとしても、
ブラックホールが積乱雲の中にひっそり佇んでいる状況はないとは思うけど。


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※2015年1月の記事を加筆修正しました。
韓国映画のご紹介です

韓国 映画 かくれんぼ ネタバレ・あらすじ(実話を元にした恐怖を描く映画)


韓国 映画「かくれんぼ」は2013年の夏に韓国で公開されて観客動員数525万人を達成した実話を元にしたスリラー映画だ。
韓国でもっともヒットしたスリラー映画とも言われ、中国では『隠れ鬼(Hide and Seek)』のタイトルで(2016年に公開)リメイクされた。
※中国版「かくれんぼ」である『隠れ鬼(Hide and Seek)』を見られるのは、現状では Netflix (ネットフリックス)の配信のみ。

ホラーやオカルトではないが、忍び寄る得体の知れない恐怖に主人公の心は次第に蝕まれてゆく。
2015年に日本上陸(当時は、Gyaoが無料配信をしていた。)

韓国映画 かくれんぼ 概要



2013年公開の韓国映画。
監督:ホ・ジョン(Huh Jung)
ジャンル:スリラー
主演:ソン・ヒョンジュ
上映時間:108分

韓国映画 かくれんぼ ネタバレ・あらすじ



映画 かくれんぼ ネタバレ1《起》

少年の頃、主人公ソンス(ソン・ヒョンジュ)は、嘘をついて兄に無実の罪を着せたがために、
ソンスは養子で兄はその家の実の子供だったにも関わらず、父はそんな兄を嫌い遺言で全財産をソンスに残す。
無実の罪のせいで転落人生を歩んだ兄は、母の死後、行方をくらませていた。
今では社会的成功をおさめセキュリティ完備の最高級マンションに妻子と幸せに住むソンスの元に、
ある日、兄が暮らしていたという薄汚れたアパートの管理人から連絡が入り、失踪した兄の家財道具を引き取るようにと言われる。

映画 かくれんぼ ネタバレ2《承》
妻子を連れて、そのアパートへと行ったソンス一家は、兄と同じアパートに住む母と幼い娘と知り合い彼女らの部屋に招き入れられる。
その母は「このあたりは治安が悪い」と言って怯えていたが、ソンスが兄のいた部屋番号を口にするといきなり怒り出してソンス達を追い出す。
こうした出来事から、ソンスは、姿の見えない兄に対する恐怖心をいっそう募らせていく。

映画 かくれんぼ ネタバレ3《転》
その後、ソンス一家の身辺に、黒いヘルメットを被った黒ずくめの服装の不審者が度々出没するようになり一家は身の危険にさらされる。
そしてそれと同時に兄の住んでいたアパートの各部屋の玄関の前にも、そして自分達が住む高級マンションの玄関の前にも
その家の家族の構成を示すような不審な記号を発見するソンス。
そんな中、兄に対して後ろめたい気持ちを抱くソンスは次第に黒ずくめの不審者の正体が兄ではないか?との疑念を深めてゆく。
姿を消した兄の行方を調べると同時に、不審な黒ずくめの人物の正体を確かめるために、
ソンスは一人で兄が暮らしていたアパートの部屋を訪れる。
ところが、そこで今度は、白昼堂々と顔を晒した謎の男に襲われて格闘となり、あわや屋上から突き落とされそうになるが、傍にあった植木鉢で反撃し形勢を逆転。
男は気を失う。
その男が意識を取り戻して、やっと冷静に話が出来るようになって初めて、お互いに不審人物と誤解しあっていた事がわかる。
その男はソンスの兄が住んでいた部屋の隣に住んでいた女性の恋人だった。
ある日いきなり彼女からの連絡が途絶えた事から、彼女の消息を求めて、アパートに様子を見に来たのだと話した。
ソンスの兄と、その彼女の部屋が内側で繋がっていた事を発見して驚く二人だった。
だが…更に驚いた事に、ソンスが彼女の部屋の洋服ダンスを開けると、中からビニールの梱包材でグルグル巻きにされた彼女の遺体が倒れ出て、仰天しているソンスに覆い被さった。
悲鳴を上げるソンスの声を聞き、何事かと思って
彼氏の男が見に来たが…その背後に立つ例の黒ずくめの人物を見て、ソンスは息も出来ないほど驚いた。
と、その次の瞬間、彼氏だった男は背後から刃物で突き刺されて息絶える。
ソンスは、その後、黒ずくめのヤツと格闘するうちに
兄の遺体も発見するものの、格闘の果て、気を失ってしまう。

映画 かくれんぼ ネタバレ4《結》
意識を取り戻したソンスは、再び黒ずくめに追われるが、この時、以前顔見知りになった母娘の家の幼い娘が自室の扉から顔を出しているのを見る。
そこで激しく彼女の部屋の扉を叩いて中へ入れてもらい一旦は難を逃れる。
だが、この時、その部屋に置かれていた物の数々が、
自分達の携帯電話などを含み、すべてが盗品である事に気付く。

ようやく黒ずくめの人物の正体に気付いたソンスは、
家族を守るため、妻と連絡を取り、自宅への帰路を急ぐが、その時は最早既に、ソンスの家を乗っ取る目的で、その悪魔は行動を開始していた。
ソンスの妻と子供たちに忍び寄る黒ずくめの服装の中の犯人。
やがて、一家は、自宅を舞台に、その存在と全力で命懸けの戦いを繰り広げるのだった。



(2012年12月20日の記事を再編集)
映画ネタバレ~邦画のご紹介です。

映画 脳男 ネタバレ・あらすじ・感想



映画 脳男 ネタバレ・あらすじ



巷を騒がせる連続爆破殺人事件を追う刑事、茶屋が辿り着いたのは
謎の青年、鈴木一郎(生田斗真)であったが、
彼には生まれつき感情というものがない。
心の異形である。
(人によっては、鈴木一郎を自閉症やサヴァン症候群と定義している人もいるが、
自閉症は他人との関わり上で生じるコミュニケーション障害であるのに対して、
彼の場合は彼個人の器質上での無感情という症状である事から、自閉症やサヴァン症候群とは一線を画して捉えるべきである)
精神科医の鷲谷真梨子は、一郎の生い立ちを追って行くうちに、
彼が狂った祖父によって殺人マシーンとして教育されてしまった悲しい秘密へと辿り着く。

そして運命の歯車は否応なく、
一郎を連続爆破殺人事件の真犯人である緑川紀子(二階堂ふみ)と対決させるのであった…。

ちなみに緑川紀子は生まれながらのシリアルキラーであり子供の頃に両親の舌を切り取り死なせている。

シリアルキラー・サイコキラー・サイコパスの解説はコチラ⇒【映画メモ】サイコキラーとシリアルキラーの違い

映画 脳男 感想



一貫して暗いイメージの映画で衝撃的な拷問シーンから始まる。二階堂ふみの事を「演技が上手い」と褒める人が多いのだが、
その根拠とも言える原点は、この映画にあったのかな?と思うほど狂気のシリアルキラーをそれらしく演じていた。
ラストシーンで浮かべる一郎の微かな微笑みが愛おしく切ない。


(2012年12月25日の記事を再編集)

大河ドラマの起源はフランスにあり


大河ドラマ=日本の歴史・大河ドラマ=NHKではありません。
更に言えば歴史もの(時代劇)である必要すらない。


大河ドラマ - Wikipedia に見るように、
NHKさんが、1963年から、好き好んで、大河ドラマを毎年1本、日本史から題材を取り制作されるので、
「大河ドラマ=日本史」と「大河ドラマ=NHK」のイメージが広く国民の間に広がったものです。


正しい大河ドラマの意味はコチラのYahoo!知恵袋において回答されておられる方がいます。

大河ドラマという言葉よりも大河小説が先にあって、大河ドラマは、そこを語源にしていたのですね。

大河小説の意味
出典:デジタル大辞泉http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%B0%8F%E8%AA%AC
一個人や一群の人々の生涯や歴史を、時代の流れとの関連のなかでとらえていこうとする壮大な長編小説。
1920年代、フランスに始まる。
ロマン=ロランが自作「ジャン=クリストフ」を大河にたとえたことに由来する。
マルタン=デュ=ガールの「チボー家の人々」、デュアメルの「パスキエ家の記録」など。
 



先日、「クギズケ」という番組で、
上沼恵美子さんと高田純次さんのNHK大河ドラマに関するやりとりの中で、高田純次さんが
「日本に拘らずマリーアントワネットとかで、やってみたらいい」と提案されていたのですが、
上沼恵美子、さんがしきりに「そこは、やっぱり大河ですから日本史でないとね」と否定されていたのを見て
上沼恵美子さんが、すっかり「大河ドラマ」の意味を取り違えていらっしゃる事に気付き、この記事をUPしてみた次第です。

いつもだったら高田純次さんの言う事の方がデタラメなのですが、この時は珍しく高田純次さんの言う事の方が的を得ていたのでしたいた(´∀`)


フランスで、大河ドラマを制作されているかどうかは存じ上げませんが、別に、自国の歴史ものだけが大河ドラマというわけではないので、

我が国、日本でも、「マリーアントワネット」でも「コロンブス」でも大河ドラマの題材になります。

私がアメブロ公式ランキングを辞めた理由

これは誰でも辞めるでしょう。無意味だから。
まだ反映されてないけどさっき削除しました。

ええ、確かに「アクセス数でランキング順位が決まるわけじゃない。」というお話は以前にお聞きしましたが、かと言って、これって…なんで?
「そこまで価値がないブログと判断したから。」と言われれば、それまでの事ですが…。
この全体ブログランキング順位ってアメブロ会員の中でビリって事なの?ww

ブログ自体を辞める事もチラッと考えたんですが、古いドメインなんで、検索の一ページ目に出てる記事が多数だから、やっぱりもったいないかな…と。

それに、アメブロ運営さんでも、流石にグーグルやヤフーの検索順位までは操作出来ませんからね。

以下、追記です。_____________________________
テーマに合ってない記事を書くとランキング圏外になる。と書いてあったブログさんを見掛けたのですが…この記事の1つ前は中国ドラマの記事で、更にもう一つ前は映画の記事です。
ランキング2位に常駐している人が国内ドラマの記事の事しか書いておられないし、運営さんの公式ジャンル注意書きの部分には、確か海外ドラマは書いてもOKとあったように思ったので、中国ドラマの記事を書いて圏外になるとは考えませんでした。
国内ドラマの記事の事しか書いておられない人が2位に常駐って事は、このルールは人によって当て嵌ったり当て嵌まらなかったりなんでしょかね?(笑)




『大秦帝国 縦横~強国への道~』あらすじはコチラ

大秦帝国 縦横 =強国への道= 第51回(最終回)「覇者への道」まで視終りました

最終回は、嬴壮が反乱に失敗して、第28代君主・嬴稷の王位が揺るぎないものになりました。
そして、この大秦帝国のドラマシリーズは、次の『昭王~大秦帝国の夜明け~』へと繋がって行くわけですね。

中国ドラマ 大秦帝国 縦横 =強国への道= 概要



大秦帝国-QIN EMPIRE-の続編

始皇帝が中国を統一する約100年前。
弱小国だった奏(しん)を強国へと導いた英雄たちがいた。
若き君主、嬴駟 (えいし) は「商鞅の変法」での国力増強を堅持しつつ、魏や斉ら他国と肩を並べるべく彭城で王を称すると心に決める。
嬴駟に迎えられ、巧みな話術で国を動かす魏国出身の縦横家、宰相の張儀。
魏国より来た稀代の名将、公孫衍。
陰謀渦巻く乱世で、奏にありて、
後の世の始皇帝が中国を統一する礎を築いた英雄たちの物語。



中国ドラマ 大秦帝国 縦横 =強国への道= 感想



1話、2話のうちは状況が良く飲み込めず、とっつきにくいのですが、暫く辛抱して視ていると回を重ねるごとに面白くなってきます。

主人公の嬴駟を演じる富大龍(フー・ダーロン)の独特な個性の光る演技力に魅了される。

羋丫頭(羋八子)が嬴駟の元へ嫁いだ経緯が、史実とはずいぶん違って描かれており、ほぼ創作のように思われる。
羋丫頭は嬴駟に嫁ぐ時に、義渠の王子である義渠駭(ぎぎょがい)との間に出来た子供、琰(えん)を国元へ置いて嫁いだ。
この時点で、貧しくても子供と共に暮らす幸せよりも女としての栄華を選んだのだから、琰(えん)は捨てられたも同然だから、ずいぶん割り切った女だなと感心した。
そして奏へ行ってからの羋八子ときたら、嬉々として暮らしていて、置いて来た息子の事を気に掛けているような素振りは一切、見せなかった。
それなのにドラマが後半になってから「琰の事は、一日も忘れた事はなかった。」だの「恋しい。会いたい。」だの、やけに母親の側面を見せてくる部分が、同じ女として、ちょっと理解しにくかった。
子を思う母の気持ちはもちろんよくわかるが、
それでも、自分自身の選択だった以上は、後で未練がましいのはどうかと思う。

その琰も最終回で、羋八子と魏紓(ぎじょ/嬴駟の正妻)の争いを止めるために自ら進んで犠牲となり命を落とす。
赤ん坊の時から、ずっーと会っていなかった産みの母や、父親違いの弟のために、人は自分の命を捧げられるものだろうか?
琰の心が美し過ぎて、母を慕う気持ちが切なくて、このシーンは泣けた。

49話で、嬴駟亡き後を継いで王になった嬴蕩(えいとう)の死に方は史実に添って描かれていたようであったが、
自分の力を誇示するために 鼎(かなえ)を持ち上げて肋骨を折って死ぬという筋肉バカの嬴蕩らしい死に方だった。
嬴駟にずっと仕えて国を強国に導いた功臣の張儀も追い出してしまう馬鹿っぷり。
英明であった父、嬴駟とは違い、
軍事力と馬鹿力だけで国が発展すると思っているこいつが王になって今後どうなる事やら?と誰しもが不安だったろうが、
早い目に昇天してくれたのは、奏国にとっての神のご加護だったのだろうか?

【ドラマを視ていての疑問点】 
①縦横家と軍師の違いは?
どちらも主君に仕えて戦略を授けるとか相談役になる役職と思われますが、縦横家の方は度々、外交の仕事を任されます。
片や、軍師の方も交渉役を務める事も、たまにはあるようですが、基本的には、いつも主君の側仕えのようです。

②嬴駟と贏壮の関係は?
最終回で、王位を狙い反乱(紀元前305年 季君の乱)を起こした嬴壮と呼ばれている公子荘(季君)は、主人公の第26代君主・嬴駟とどんな関係だったのでしょうか?
公子荘(季君)に関する日本語表記での情報が、ほとんどないために、
2人の関係がよくわかりませんが、名前の一文字目が同じ字である事や、
嬴駟が生前、嬴壮の事を話す時に「甘やかし過ぎた。」と言っていたので、
割と近い親戚筋だったんだろうとは思います。
ただ、嬴壮の父親という人がドラマの中に登場するので、近いと言っても、
息子や弟ではない事は確かそうです。
(もし嬴壮が養子に出された子ならば、また事情は変わってきますが。)

③嬴駟に他に子供はいなかったの?
ドラマには全く登場しませんが、羋八子との間に昭襄王(稷)の他、涇陽君(悝)・高陵君(顕)を授かっています。

映画ネタバレ~洋画のご紹介です。

映画 美しき諍い女 ネタバレ・あらすじ・感想・キャスト



映画 美しき諍い女 概要



1991年公開のフランス映画(日本公開は1992年)
監督:ジャック・リヴェット
脚本:パスカル・ポニツェール/クリスティーヌ・ロラン/ジャック・リヴェット
原作:オノレ・ド・バルザックの短編小説『知られざる傑作』
主演:エマニュエル・ベアール
ジャンル:古典文学
上映時間:238分

タイトルから「中国の後宮もの?」と錯覚しそうになる人もいるかと思われるが、それとは全く無縁のフランス映画である。
フレンホーフェルの描画シーンでは、実在する画家ベルナール・デュフールのカンバスへのタッチを、編集せずに長回しで撮影している。


映画 美しき諍い女 ネタバレ・あらすじ



初夏を迎えた避暑地プロヴァンス。
7月上旬の月曜日。午後3時から4時の間。
緑に囲まれたとあるオープンカフェで、
マリアンヌ(エマニュエル・ベアール)は、恋人の若い画家ニコラ(ダヴィッド・バースタイン)と、諍いをする寸劇を演じて戯れていた。
周囲の客達は、行きずりの見知らぬ2人の揉め事であるかのように見ていたが、
2人にとっては、緊張をほぐすための、ちょっとした遊びに過ぎなかった。
この後ニコラは、仕事上で、とても大切な人の家への訪問を控えていたのだ。


この日、ニコラが知り合いの画商ポルビュス(ジル・アルボナ)の仲介を得て、マリアンヌ同伴で訪れたのは、
高名な老画家フレンホーフェル(ミシェル・ピコリ)の自宅であった。
坂の上に立つ古城で、フレンホーフェルの妻リズ(ジェーン・バーキン)が、気さくに出迎えてくれた。


室内も庭も見事な住まいをザッと見学後、フレンホーフェルの仕事場を見せてもらう。
元々は納屋だった場所を改装したのだと言う。
だが、フレンホーフェルは長い間、絵を描いておらず、この場所へは来ていなかったと話した。
絵を見せてもらって学びたいという思いがあったニコラは、何枚かの絵を見せてもらった。
デッサン画も何枚かあったが、ニコラが素晴らしいと思う絵も、本人は納得していない様子であった。
フレンホーフェルが最後に口にした未完のまま長い間打ち捨てていた「美しき諍い女」をニコラは見たがったが、
フレンホーフェルは未完である事を理由に見せようとはしなかった。

「美しき諍い女」とは17世紀にいた高級娼婦カトリーヌ・レスコーの通称であり、彼女の生涯を書いた本を読みイマジネーションを刺激されたフレンホーフェルは、急にその女を描きたくなったのだと話した。
そこまで話しておきながら、彼は、その絵を見せる事は頑なに拒んだ。

5人でテーブルを囲み食事の時間となった。
デザートの時間にポルビュスが飲み過ぎて突然、気絶するというアクシデントがあったものの、マリアンヌはリズとも打ち解け互いの夢や恋の末路の話などを少し語った。
この時、文学をやっているマリアンヌは上昇志向が強い一面を見せる。
リズは偏固なフレンホーフェルとの暮らしに妥協しながら、夢を半ば諦めて暮らしているのだと話した。
上り坂と下り坂の2人の女の対比は、太陽に照らされて立つ木の葉が作り出す影と陽なたの文様のようだ。

一方、3人の男達はアトリエで再び酒盛りを始めた。
創作に対する拘りが強いフレンホーフェルは「創作を再開すべきでは?」と言うポルビュスに
「どうせ描くなら傑作しか描きたくない。」と話す。
「美しき諍い女」に未練を残すフレンホーフェルだが、モデルがリズだったので、年齢的な事から、もうモデルとしては使えないと思っていた。
「マリアンヌなら描けるのでは?」
ポルビュスの勧めもあり、
フレンホーフェルはマリアンヌをモデルにする事で、『美しき諍い女』の製作を再開する気になる。


ニコラがマリアンヌの気持ちを確かめもしないで、勝手に彼女がモデルをする事を決めてしまったので、マリアンヌは非常に憤慨した。
片やマリアンヌを見て、創作意欲を刺激されたフレンホーフェルであった。
その夜、ホテルでマリアンヌはずっと不機嫌なままだった。
問題はそれがヌードのモデルであるにも関わらずニコラがマリアンヌに一言の断りもなく勝手に承諾してしまったという事。

ニコラが取り付く島もなくマリアンヌはふて寝してしまったので、最早、彼女がモデルを務める見込みはないのかとも思われた。
ところが、翌朝になるとマリアンヌはニコラがまだ眠っているうちにベッドを抜け出し、一人でフレンホーフェル宅へと向かった。

アトリエへ入ると、フレンホーフェルは、ペンと筆とインクと水を使いマリアンヌを座らせてデッサン画を描いた。
最初は着衣のままで。
次に髪を上げさせて顔のアップのデッサン。
それからヌードのデッサンへと移る。

後から訪ねて来たニコラはリズに「モデルをさせた事で彼女を失うのではないかと不安に駆られている。」と、正直な胸のうちを語る。
「マリアンヌがもし自分から離れたら、破滅だ。」とニコラは言った。

その日のモデルの時間が終了しての帰り際、また明日来るようにと、フレンホーフェルに言われて、マリアンヌは乗り気ではない。
そんなマリアンヌの気分を敏感に察したリズが、モデルを継続してくれるようにとマリアンヌに頼む。

マリアンヌにとっては、実際には、あまり意義のある役割とは思えなかったモデル体験だったが、ホテルに戻ってニコラに話す時は、彼への反発心から「面白い体験だった。今後も続ける。」と話した。
それを聞いて、今度はニコラが不機嫌になる。

翌日は、最初からヌード。
姿勢にダメ出しをしながら、フレンホーフェルは、キャンパス大の大きさの紙への描画を開始した。
さまざまなポーズをとらされて結構、疲れるマリアンヌ。
そのうちフレンホーフェルは、素人には意味不明な独り言を発し始める。
しばらくは我慢していたもののマリアンヌは「もう、うんざり」と音を上げる。
だがフレンホーフェルの要求は、止むわけもなく、あれこれと意味不明な事を言いながら、新たなポーズを取らされるマリアンヌは、おかしくなって笑い出してしまう。
この後、フレンホーフェルは気がそがれたような表情になって一旦、外へ出て行く。

そして映画は第二部(『美しき諍い女 第2部』という表示が出る。)
その後もモデルと画家が精神的に一体になるかもような創作活動が続き、開始から4日後に『美しき諍い女』は仕上がるが、
視聴者である私たちは、この絵の元々の描きかけの姿も、完成した様も、観る事が出来ない。
ただ、リズがフレンホーフェルに言った言葉からすると、リズの顔を消した部分にお尻が描かれていたらしい。

『美しき諍い女』を完成させる事によって、新作に取り組むための自らの意欲を引き出そうと考えたフレンホーフェル。
描かれる事を通じて、高揚していくマリアンヌ。
かつて自分をモデルにして描かれ挫折した絵の続きを若いマリアンヌにモデルを変えて夫が描き直している事を知り傷つくリズ。
嫉妬に苦しむニコラ。
それぞれの心理が断片的に描かれて、やがて絵は完成するのだが、何故か?フレンホーフェルは、その絵を画商のポルビュスに渡す事なくレンガを使って壁際に封じ込めてしまった。

そしてマリアンヌとニコラの恋人関係が破綻した事を暗示して、
登場人物らの、それぞれの心理に影響を与えた一夏の避暑地での4日間の出来事として映画は終わる。

映画 美しき諍い女 感想



「いきなりエンディング?」と思うような、黒画面に字幕で書かれたタイトルやキャストの紹介から始まる。
流れるBGMはイーゴリ・ストラヴィンスキーのアップテンポな緊迫感をそそる交響曲。

ストーリーらしいストーリーはなく長回しシーンが多いので観るのに、かなり根気がいるが、お洒落な映画。
世界的に禁煙が良しとされる現代とは違い、昔の映画には女性の喫煙シーンが多いが、この映画でもマリアンヌが煙草を吸うシーンが時折、出て来くる。
昔は、煙草=お洒落女性のアイテムという観念でもあったのかな?

老画家の描くデッサンは、全く写実的ではない。
デッサンの基礎を学んだ人の描き方でもない。(当ブログの管理人は一応デッサンの基礎を学んでおります。)
描いているというよりは、紙を汚しているようにも見える。
おそらく、映画の中で行われるこの画家のデッサンは、絵を描くという行為そのものではなくて、
イメージを掴むための脳トレ的作業ではないかしらん?と思われる。
キャンパスに描く前段階として、このプロセスは必要なのだろう。
彼女をアトリエに招き入れるシーンから、ずっと長回しで撮影されるモデルと画家の描画シーンは、正直かなり退屈で寝てしまいそうになる。

マリアンヌのお尻が、こんもりと大きくて、特に尻フェチというわけではなくても、画家であれば、素材として、ちょっと惹かれるかも。


映画 美しき諍い女 キャスト



作家志望の女性…マリアンヌ(エマニュエル・ベアール)
若い画家でマリアンヌの恋人…ニコラ(ダヴィッド・バースタイン)
フレンホーフェルとリズ夫妻の昔馴染みの画商…ポルビュス(ジル・アルボナ)
老画家…フレンホーフェル(ミシェル・ピコリ)
フレンホーフェルの年下の妻…リズ(ジェーン・バーキン)
ニコラの妹…ジュリエンヌ(マリアンヌ・ドニクール)
ポルビュスの家のお手伝いさん…フランソワーズ(マリー=クロード・ロジェ)
フランソワーズの娘…マガリ(マリー・ベリュック)



映画ネタバレ~つまらない映画

青いパパイヤの香り ネタバレ~起承転結無視?!物語性のない映画・ストーリー軽視の映画



カンヌ国際映画祭などで、それなりの受賞をしている事を思えば、そういった映画の専門家からすれば、
必ずしも映画にキチンとしたストーリー性がなくてもいいのでしょうね。
どうやら、それ以外の他の面で評価なさるようで「つまらない映画」とはならないらしい。
けれど、映画にエンタメ性やストーリー性を求める私のような、ありふれた凡庸な人間からすれば
この『青いパパイヤの香り』は、間違いなく「つまらない」映画でした。

一般的な映画(と言うか物語全般)は、起承転結で構成されています。
もしかしたら、そういった一般的な映画を、芸術的な映画を作ろうとしている方々は
「ベタやなぁ…【君はBETA】\_(・ω・`)」と、冷ややかな目で見ているのかもしれませんね。

もちろん、映画には、さまざまな映画があって、ストーリーの面白さを追求した映画ばかりではなく、
それ以外のもの…例えば、この『青いパパイヤの香り』で言えば映像美だったり、音楽であったり、異文化圏の日常と季節感を垣間見る楽しみだったりするのでしょう。
それ故に「つまらない映画」と言い切ってしまうのは間違いで、ホントは「観る人を選ぶ映画」と言わなくてはいけないのかもしれない。

「選ばれざる観客」の私なんかが物申すのも口幅ったいのかもしれませんが…一応、このブログを読んで下さってる方々は、
私と同じく映画に物語性やエンタメ性を求めていると信じて書きますね。

この映画、起承転結構成ではないです。
起転結で、しかも結のところが、どういう結なんだか今一よくわかりませんでしたわ。

青いパパイヤの香り 概要



1993年フランス公開/1994年日本公開の映画。
監督:トラン・アン・ユン
脚本:トラン・アン・ユン
言語:ベトナム語
ジャンル:不明
上映時間:104分

ベトナムとフランスの共同制作。


青いパパイヤの香り ネタバレ・あらすじ



1951年、ベトナムのサイゴンの、ある暑い夏の日。
とある富裕層の商家に雇われるために、田舎からやってきたムイは、まだ10歳のあどけない少女。

この家の主人は浪費家で、商売にも身が入らない怠け者であったが、
妻は働き者で優しく、3人の息子らは皆、甘やかされていた。
もう一人の家族である祖母は、孫娘をまだ小さいうちに亡くしてから、ずっと自室に引きこもっていた。
妻は優しくムイを迎え入れて、使用人なのに、まるで実の娘であるかのように何かと気に掛けてくれた。

ムイは、日々、年長の先輩奉公人のそばで働きながら、料理と掃除を習い一家の雑事を懸命にこなしていく。
そんなある日、主人が一家の蓄えを持って姿を消す。
実は、この家の主人が、このように行方をくらますのはこれで4度目の事。
その昔は、娘がまだ幼くて病気を患っていた時に姿を消したがために、娘は満足な治療を受ける事が出来ず命を落とした。
その事に、主人は心を痛め、それ以来、この悪癖を二度と繰り返さないと心に決めていたというのだが…今回、またしても、悪癖が繰り返されてしまった。
残された家族は、またしても経済的な苦境に陥る。
そんな時、長男が家へ連れてきた友人クェンに、ムイは淡い恋心を抱く。

時は流れて10年後。
美しく成長したムイは、働きなれた商家を離れて、音楽家となったクェンの家に雇われる事となった。
クェンには婚約者がいたが、やがて二人は恋仲となり…婚約者は嫉妬の炎をメラメラと燃やす。
クェンが婚約者と破断になったのか否かは定かではないが、それからというものムイはクェンに読み書きを教わり、
綿が水を吸収するように教養を身につけていった。

それ以降、特に2人に何か進展があったような描写はされておらず、ラストは美しいパパイヤの果肉色のドレスを着たムイが、
籐の椅子に腰掛けて、クェンに詩を朗読して聞かせる。
カメラがムイの背後に置かれた仏像を映し出すというシーンで映画は終わる。



青いパパイヤの香り 感想



主人公の少女のムイは健気で可愛い。

タイトルからすれば、少女の恋愛感情は、この映画の中で、かなり重要な部分だろうと思われるのに、
少女が、クェンに見惚れるシーンが一度きりしか出て来ないので、それ以降も胸に恋心を抱き続けていたとは、気付きにくい。

なぜならばカメラは、その他の雑多なムイと一家の日常生活を追っており、
ムイが日々の家事をこなす様子、日常の中でのそれぞれの家族との小さなエピソードや会話、
家の周囲の自然、それに目をとめるムイの表情などなど、幾つもの視点の連写の数珠繋ぎが映し出され、
特にその部分にフォーカスされて丁寧に描かれているわけでもないからだ。
そのせいなのか…私には、どうにもこの映画のメッセージ性の収まりが悪いように感じられる。
「ジグゾーパズルのピースをはめるように小さなエピソードを繋ぎ、完成したら、その全体から受けるイメージが、すなわちこの映画です。」
とでも言いたいのだろうか?

亡くなった娘の遺影がのっぺりと白飛びしていて、なんだか気持ち悪い。
一体、当時のベトナムの写真技術はどうなっていたのでしょうか?ww


映画ネタバレ~邦画のご紹介です。

映画 本能寺ホテル ネタバレ・あらすじ・感想・キャスト



映画 本能寺ホテル 概要



2017年公開の日本映画。
監督:鈴木雅之(フジテレビジョン役員待遇編成局制作センター第一制作室ゼネラルディレクター。)
原作:万城目学
脚本:相沢友子
主演:綾瀬はるか
ジャンル:ファンタジー
上映時間:119分

同じく万城目学原作であるドラマ『鹿男あをによし』や、映画『プリンセス トヨトミ』と同じスタッフで制作された。


映画 本能寺ホテル ネタバレ・あらすじ



ある日、突然、会社が倒産したために無職になってしまった倉本繭子(綾瀬はるか)は、
恋人の故郷である京都を訪れていた。

予約していたホテルが翌月の同日の予約になっていたために突如、泊まる宿を探し辿り着いたのが、京都の路地裏に佇むレトロ感溢れる《本能寺ホテル》という名のホテル。

ところが、そのホテルのエレベーターは、1582年(戦国時代の真っただ中)の本能寺に繋がっていて、他の宿泊客には一切影響はないが、
どうした弾みか…繭子だけが、その過去の日にタイムスリップしてしまうのであった。
タイムスリップに関連していると思われるアイテムは、繭子が京都の町を散策中に買った金平糖と、ホテルのフロント前のテーブルに飾ってあった古いオルゴールの音色。

さて、その日、
天下統一を目前にした織田信長(堤真一)は、森蘭丸(濱田岳)ら少数の家臣らと共に本能寺に滞在していた。
そんな彼の目の前に突如出現した変な服装の女、繭子。
家臣らが、気性の荒い信長に恐れおののく中、繭子は、持ち前の正義感で、キッパリと信長の短所を指摘してしまう。
激怒した信長は、家臣らに繭子を捕えるように命じるが、危ういところで再び出現したエレベータに辿り着き現在へ戻ってくる。

しかし、現在に戻っても、このままでは、史実通りに信長は謀反を起こした明智光秀に討たれて死んでしまうと思うと、気が気ではなく再び過去へと戻って信長に「明日、明智光秀さんが、謀反を起こします。」と伝える。
繭子が遠い未来から、やって来た事を何となく悟っていた信長は、彼女の言葉をスンナリと信じるものの
「逃げも隠れもしない。」と言って、そのまま本能寺での滞在を続ける。

何度か現在と1582年を往復するうちに、当時の京都の町を見物するなどの交流を通じて、繭子は信長と打ち解けていった。
そんな中で、ただ鬼のように冷血で怖いだけではない信長の民を想う温かい気持ちに惹かれていく。

「誰が天下を統一しても同じ事。」と言って、本能寺での滞在を続ける信長であったが、和やかなうちにも時は流れ日付は変わり、とうとう本能寺の変の当日となった。
繭子は現在に戻って、元々予定していた婚約者の両親との会食や金婚式への出席をしているうちに、
やはり、どうしても信長の安否が気になって、再び過去の本能寺へ。
燃え盛る炎の中で、次々と飛んでくる矢に怯え、切り合う武将たちの間をかいくぐり信長を探していた中、蘭丸と再会する。
蘭丸の案内で信長のいる部屋に辿り着くが、信長は既に自害の用意をして座していた。

繭子の「なぜ逃げなかったのですか?」という質問に信長は答えようとせず追い返そうとした。
だが最後に、繭子が昨日に落として行った縁結びのイベントのパンフレットを掲げ
「この絵は、そちがいる未来の世界を描いたものであろう。」と問いかけた。
それが「写真」というものであると繭子が告げると、
幸福そうな未来社会に満足したように
「いい写真だな。」と言って、それを懐にしまい「礼を言うぞ。」と告げ、繭子を見送った。

焼け崩れ燃え盛る炎の中で、現在への帰り方がわからない繭子は戸惑っていたが…オルゴールがゆっくりと音を止めて…大きな柱が彼女の上に焼け落ちるかと思われた寸前に、元の世界へ戻って来た。

過去世界で、信長にインスパイヤーされた繭子は「何もしたい事がない。」という気持ちに変化が生じて、積極的に自分の「やりたい事。」を求めて行くように生き方を変化させてゆくのだった。

[終わり]


映画 本能寺ホテル キャスト



倉本繭子(綾瀬はるか)
織田信長(堤真一)
森蘭丸(濱田岳)
明智光秀(高嶋政宏)
本能寺ホテル支配人(風間杜夫)
吉岡恭一(平山浩行)
吉岡征次郎(近藤正臣)

映画 本能寺ホテル 感想



脚本が酷い。
脚本を書いてる相沢友子さんの過去の脚本で『世にも奇妙な物語』の「記憶リセット」という映像を見てみたんだけど、
説明不足な作品のためか?感情移入が出来なかった。
独身男女の別れに纏わるエピソードをテーマにしているのに、別れの理由に一切触れていないので、出会ってから別れに至るまでの幸せな時の写真をランダムに見せられて、ただそれのみで
お互いの相手に対する断ち切りがたい恋愛感情と別れの切なさを、視聴者にわかれと言うのは無理があった。
この脚本に見るように、相沢友子という人の脚本は、どれもみな舌っ足らずで
「そこんとこを描いてなきゃあ、結局、伝えたいものが伝わらない。」というような、
重要な部分を抜かしてしまう脚本家さんなのかもしれないと感じた。

本作、映画『本能寺ホテル』でも、映画冒頭のナレーションで
「織田信長の遺体が見つかっていない。」とミステリアスな発言があるので、
観客は、主人公が1582年の謀反が起こる直前の本能寺へタイムスリップした時点で、無意識のうちに「織田信長は逆に、1582年から現在の本能寺ホテルへタイムスリップしたのでは?」という期待を持つのであるが、全くそうではなく、依然として、その謎は謎のままにストーリーは集結する。
おそらく、これはミスリードですらなかったんだろう。
信長は謀反が起こる事を主人公から聞かされても「天下統一するのは誰でもいい。」と言って、そのまま運命を受け入れて明智にやられる。…そんなアホなえー
ほんとに「天下統一するのは誰でもいい。」などという考え方であったなら、これまでの信長の戦の歴史は、いったい何のためだったんじゃい?えー

結局、この映画で言いたかったのは「自分のやりたい事を諦めないで!」という戦国時代の覇権争いに、ままるで無関係な古今東西に共通のテーマだったらしい。
なぜ、そんなあっさりしたメッセージを表現するために、わざわざタイムスリップ
してまで織田信長のラストデイと重ね合せる必要性があったのか?さっぱりわからない。あせる

そして、もう一つ最大に意味不明なのが、本能寺の建っている場所とは、全く別の場所に建っている本能寺ホテルというホテルのエレベータが、
何故に過去の本能寺と繋がっていたのか?
この点も一切、説明されていないのだが…これは脚本が変なの?
それとも原作の時点で、これほどにいい加減だったんだろか?
その点は原作を読んでいないので何とも言えないが。

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始皇帝が中国を統一する約100年前。秦の君主、嬴駟 (えいし) は「商鞅の変法」での国力増強を堅持しつつ、魏や斉ら他国と肩を並べるべく彭城で王を称すると心に決める。
彭城での王の名乗りは魏の妨害により失敗したものの、旧勢力の反乱を鎮圧しながら力を蓄えて、やがて堂々と王を称する事に成功した嬴駟。
時の縦横家(軍師のような役割をする弁舌家)張儀を登用し、各国と丁々発止と渡り合いながら弱小国であった秦を強国へと成長させた嬴駟 (えいし)と奏国の物語である。
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これまで、ほとんど映画やドラマで描かれた事がなく、私たち戦後世代が、ほとんど知らない戦時中の国策であったという満州移民団の虚と実に触れているドラマで、
大変、興味深い。