映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね -31ページ目

映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

映画のネタバレ・あらすじ・キャストを最終回までや日本、韓国、中国、米国の映画・ドラマから面白いものを選んでネタバレ・あらすじ・感想を書いています。 

韓国映画(R15/サスペンス映画)のご紹介です。
2018年10月19日の記事を再UP。

映画『ファイ 悪魔に育てられた少年』ネタバレ・あらすじ・感想


映画『ファイ 悪魔に育てられた少年』概要


2014年公開の韓国映画。
監督:チャン・ジュナン
脚本:パク・ジュスク
主演:ヨ・ジング
ジャンル:サスペンス

着想、演出、脚本、キャストのどれもが上出来の映画です。


映画『ファイ 悪魔に育てられた少年』ネタバレ・あらすじ


1998年春の事、
通称「白昼鬼」と呼ばれる殺人強盗グループが、犯行を重ね巷で恐れられていた。
この頃に発生した幼い男の子の誘拐事件も、彼らの仕業であったが、身代金を要求するわけでもなく、その目的は不明のまま事件は迷宮入りとなった。

白昼鬼は、
犯行の痕跡を残さず、目撃者も躊躇わずに殺してしまうので、警察はいつまで経っても彼らを捕える事が出来ないままに7年が経過する。

この頃、高校生の年頃に成長した誘拐された少年ファイは、
窃盗団を構成する5人の男ら全員を父と呼び、
彼らにスナイパーとしての技術を叩きこまれて犯罪に協力させられていた。
どこかの高校の制服を身に着けていたが、実際には学校に通わせてもらっていない。
ただ白昼鬼の犯行に協力した時に、制服姿の方が目立たないから着ているのだと同居する仲間の女性に語るファイ。
普通の家で育った少年ならば、もうとっくに自分の意思を持ち親に反発してくる年頃であるが、ファイはそんな人並みの思春期や反抗期も経験する事が出来ず、ただただ白昼夢の父たちの意向に素直に従って来た。
それは、父たちが独断的で威圧的という理由からだけではなく、ファイが時々見る怪物のせいでもあった。
白昼鬼のリーダーでファイに最も厳しく接するソクテは「悪事を徹底的に繰り返したら怪物は見えなくなる。俺も昔は見えたが、今はもう見えないから。」とファイにそう教え込んでいたのだ。

だが…近頃、白昼鬼のメンバーの間でもファイの養育の仕方で考え方の食い違いが生じていた。
ソクテの片腕とも言える頭脳派のジンソンは、賢くて素晴らしい絵の才能もありながら、自分たちと同じような犯罪者として育てられているファイを不憫に感じていて、密かにファイの海外留学の話を進めていた。
だが、そんな準備があった事をファイ自身に伝える暇もなく、次々に新たな犯罪計画が実施されてしまう。
そんな中、白昼鬼と通じている悪徳刑事から、都市開発のための立ち退きに1件だけ応じない家があり、その住人を殺害して欲しいとの依頼が舞い込み、ソクテらはいつものようにファイを同伴してその家に押し込むのだが…。

映画『ファイ 悪魔に育てられた少年』キャスト


この映画、しょっぱなから、あまりの豪華キャストに圧倒されます。

まず悪党グループのメンバーですが、
シグナルで曲がった事が大嫌いな熱血刑事を演じていたチョ・ジヌンが、どこか抜けてて品のない単細胞で、
サクッと人を切りつけちゃうネアカ男ギテを演じていました。
さらに、いつもドラマでは繊細な医学者から優しい父親や腹黒い汚職刑事まで演じ分けるチャン・ヒョンソンが、知的な雰囲気を漂わせる兄貴分のジンソン。
そして渋い大人の魅力のベテラン俳優のキム・ユンソクが極め付けの冷徹な悪人リーダー、ソクテを。
主演は、幼い時から子役で頑張ってるヨ・ジング君♪~かわいい(。>ω<)ノでもアクションは切れ切れにこなしてたー!
後、比較的、台詞の少なかったドンボム役のキム・ソンギュンは…普段から雑魚なチンピラみたいな役が多いので、いつものイメージ通りでした。

次に、別の悪人グループのリーダー役ですが、
これを人気若手のユ・ヨンソクが演じていました。
映画ではけっこうドライな役もしてたので、
今回は犯罪歴の底深そうな汚れ役でしたが、
私としては、あんまり以前からのイメージとは変わりませんでした。

しかしながら最も感心したのは、長編ドラマ『済衆院』で、善人以外の何物でもない主人公ファン・ジョンを演じたパク・ヨンウが、裏社会と繋がっている悪徳刑事を、ふてぶてしく演じていて、演技の幅を見せつけてくれた事。
役者としては褒め言葉ですが、善人のイメージが見事に崩壊しました。

映画『ファイ 悪魔に育てられた少年』感想


常識から逸脱した酷い環境下で育てられた少年は、とても可哀そうであったが、ストーリーが進行するにつれて、悪人の父親らは、それが、たとえ歪んだ愛情であったとしても、自分なりの愛し方で少年を愛していた事がわかる。
しかし、そうだとしても、ファイの実の父親(と、ファイは、殺害後ずっとそう誤解していた。)の殺害をファイに強要したソクテはやはり悪魔としか言いようがないだろう。

ラスト近くで、5人とファイと、最後に押し入った家のイム・ヒョンテク(イ・ギョンヨン)夫妻の関係性が明らかになるのだが、そこに仕込まれたどんでん返しと白(神)の心を持つヒョンテクと、悪魔の心に支配されるソクテの対比が鮮烈であった。

今回のようなドラマの作中人物が絵が上手であるという設定の場合、時々、あんまり上手ではない場合もあるのだが、この映画でファイが書いていた鉛筆画は本当に上手だった。

私自身も絵を描くという趣味があるからわかるのだが、リアルを紙に写し取るという作業は、その対象へのきめ細やかな愛情に満ちた眼差しがなければ出来ない事なので、ファイの心の根底は、実のところは、本当の父親ではなく、誘拐されるまでの育ての父に似ていたのだろうと思われる。



韓国映画のご紹介です

映画 美人図 ネタバレ・あらすじ★キム・ナムギルfan必見!

2017年10月29日の記事を再UP。

映画 美人図 作品概要

英祖、そして正祖(イ・サン)の時代に実在した画家申潤福(シン・ユンボク)が、
男性を装う女性であったという仮説のもとに作られた。

エロスを漂わせながらも、そればかりではなく、
優美な自然の景色や、活き活きとした庶民の暮らしを本物らしく描き出している。
カメラアングルも優れた働きをしている。

R15指定ではあるものの、美しい愛の物語。

タイトルとなっている「美人図」を初め、作中には、ユンボクが遺した作品の数々が出て来る。

映画 美人図 ネタバレ・あらすじ

時は18世紀末、庶民文化が大きく開花した22代王、正祖の治世の頃。
代々続く宮廷画員の家に跡継ぎとして生まれた息子、シン・ユンボクが、ある日、自ら命を断った。
幼いながらの見事な筆使いに誰もが感心し、将来が楽しみと称えられたユンボクであったが、
彼にはそれが、人知れず耐え難い重圧としてのしかかっていたのだった。
なぜなら、本当に絵を描いていたのは7歳の妹、ユンジョン(キム・ミンソン)だったから…。
それを知った父は、ユンジョンを責めた後、兄の代わりに画員にしようと考えた。
自分のせいで兄を死なせてしまったと思うユンジョンは父の言い付けに逆らえず、男装をしてユンボクとして生きる覚悟を決める。

やがて成長したユンボクは、父に命じられるがままに、
王様の一番のお気に入りである朝鮮最高の画家と名高いキム・ホンド(金弘道)に弟子入りする。
その師匠の心をも虜にするほどの類まれなる画力を持ったユンボク。
彼女は、愛弟子として、たいそうキム・ホンドに可愛がられるようになる。

ある日の事、師匠と共に町中を散策中に、ユンボクは、鏡売りの男、ガンム(キム・ナムギル)と知り合う。
二人で共に過ごすうちに、いつしかガンムに女である事を知られて…やがて二人は惹かれあい、
ユンボクはガンムに愛されて初めて、女としての喜びに目覚めるのだった。

ユンボクは恋に目覚めた事を切っ掛けに、庶民の生活の中にある有りのままの姿を描くようになるが、
宮廷画員の立場で描くそうした春画が理解されず、問題視される風潮もあり、
師匠にも注意を受けてしまう。
他の宮廷画員らの嫉妬や嫌がらせもあったが、ユンボクは自由に描く事を止めず、
ガンムとの恋は燃え上がって行く一方だった。
いつしか、ユンボクを弟子ではなく女として愛していたキム・ホンドは、嫉妬に苦しみ、
ユンボクがいつか、自分から離れて行ってしまうのではないかと怯えるようになっていった。

そしてもう一人…キム・ホンドを慕いながらも、彼の心が自分ではなくユンボクに向いているのを知っている妓生(キーセン)の女。

果たして、幸せと愛を壊すのは誰か?…。
それとも、他人の企みや嫉妬を乗り越えて、二人は逃避行を果たすのか?

キム・ナムギル主演映画『美人図』 [DVD]/ポニーキャニオン

¥5,076
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洋画のご紹介です。

映画 アンチクライスト ネタバレ・あらすじ・予告動画・感想

2018年10月30日の記事を追記して再UP

映画 アンチクライスト 概要


2009年制作・2011年に日本公開のデンマーク/ドイツ/フランス/スウェーデン/イタリア/ポーランド映画。
監督:ラース・フォン・トリアー
主演:ウィレム・デフォー、シャルロット・ゲンズブール
ジャンル:Wikipediaで、この映画について書いた人によるとホラー・スリラーだそうだ。
だが、Amazonではカテゴライズ不能と紹介。

2009年カンヌ映画祭で正式上映され、終了後、会場がスタンディングオベーションとブーイングとで真っ二つに割れるほど評価の分かれる作品。
また、シャルロット・ゲンズブールが女優賞を受賞する一方で、映画自体は最低賞を贈られる。

[簡単な、あらすじ]
夫婦の行為中に息子を事故で失った妻は、悲しみと自責の念から神経を病む。
夫はセラピストで、治療のため彼女を森の中にあるエデン(人類の始祖アダムとイブが暮らしていた楽園)と名付けた山小屋に連れて行く。だが病状は更にこじれて……。

映画 アンチクライスト ネタバレ・あらすじ



プロローグ
静かな夜。
ヘンデル作曲のオペラ『リナルド』の中の「私を泣かせてください」という曲が流れている。
(たぶん、誰でもいつか何処かで、聴いた事ある曲だと思うよ)
↓この曲 

映像はモノクロでスローモーション。
夫婦が、ランドリールームで絡み合い愛し合っているうちに、一人息子のニック(2歳くらい?)がベビーベッドから抜け出して、鍵を閉め忘れた窓辺へ行き、窓から落ちて亡くなる。

第一章:嘆き
妻の落胆は深く、葬儀の日に倒れて、そのまま精神科に入院となる。
薬漬けにされる妻を見て、病院が信用出来ない夫は、セラピストだし、自分自身が治療しようと考えて、妻を家に連れて帰る。
そして妻に「一番怖い場所はエデンの森」と聞き出して、恐怖と向き合い克服するために2人で森へと向かう。
森の中で夫は、こちらをジッと見る鹿と目が合う。
何故か全く人を恐れる素振りもなく逃げようとしない。
それで、近くまで行ったら、ちょうど子供を産んでるお産途上。
流石に、すぐ際まで行ったら、鹿も「ヤベーッ!」と思ったのか、産道から小鹿を半分出したままで去った。

第二章:苦痛(カオスが支配する)
小屋の傍には大きな樫の木が茂っていて小屋のトタン屋根にどんぐりの転がる音が時折、バラバラと耳障りに響き渡る。
それを妻は「どんどん落ちて、どんどん死んでいく(どんぐりが)」と言う。
「自然は悪魔の教会よ。」とも。

妻は以前「論文が書きたい。」という理由で、子供と一緒にこの小屋で暮らしていた。
その頃の回想が時々、彼女の脳裏をよぎるが、子供を物置小屋のような場所に閉じ込めたままで、意味不明な書き物をしている。
しかも、子供の左足には逃げ出さないように重石まで付けられていた。

ネグレクトの上に、一部身体的な虐待もしていた様子。
にも関わらず、その頃の事を思い出しては
「あの子は、私から離れようとしていた。私と一緒にいたいと思わなかったのね。」とつぶやき、虐待した事を忘れている。

一晩、小屋で寝ての翌朝、妻は「私、治ったわ。元気になった。」と言うが、それと入れ替わるように夫の心には妻への不信感が芽生えていた。

その後、夫は森の中で腸をえぐられたキツネを見つける。
キツネは夫に、こう言う。
「カオスが支配する。」

第三章:絶望(殺戮)
雨が降りだして、小屋の中で妻は寝込んでいる。
その間に、夫は屋根裏部屋に登り、
そこに、残虐な中世の拷問や処刑の絵が壁際にぶら下げられているのを見る。
それと、星座を記した天体図に、
「3匹の乞食」として、キツネとカラスと鹿が描かれていた。
それぞれの絵の上に「キツネ=苦痛・カラス=絶望・鹿=悲嘆」という文字の書き込みがあった。
更に、妻の日記を発見するのだが、日を追うごとに文字が崩れ、最後は形を成さない異様なものであった。

その後、目覚めた妻に夫が、
治療目的のゲームをしようとの提案をする。
その時、夫が「サディステックな男の性的本質が悪魔だ」と言うと妻は「私の論文のテーマはそれ。虐待される女の本質も悪魔なの。」と言う。
その際、夫は、妻が屋根裏部屋に集めていた資料を見た事をそれとなく話す。

その夜SEXの最中に妻は夫に「殴って!」と懇願する。
夫が「出来ない。」と言うと妻は「愛してないのね。」と言って裸のままで外へ出て行く。
そして樫の木の根元に寝そべり自慰をしながら、夫に殴られる事を想像する。
(実際のところ、このシーンは、妻の想像なのか?それとも本当に夫も裸で妻を追いかけて来て殴ってくれたのか?判断不能。)

病状はいっこうに改善しないものの、この時点でも、夫はまだ妻を見捨ててはいなかった。
だが妻は、この「森に悪魔が棲む」という妄想に取り憑かれている。
そんな妻に「妄想は現実に現れたりしない。」と言って聞かせるが、その最中に、妻は開封済みの子供の検視結果を発見する。
それは数日前に、夫が開封したものだった。
検視結果報告には、事故に関しての言及は特になかったが、足の骨に僅かに奇形が見られるとあった。
更に夫は、過去の子供の写真から、妻が子供に左右反対に靴を履かせていた事を知り、それを彼女に指摘した。
「たまたま、ぼんやりしていた。」と言って妻は誤魔化そうとした。
しかし、別々の日時の複数枚の子供の写真のすべての靴が左右逆になっている事に夫は気が付いた。
その直後から、夫に捨てられると思った妻は、夫を襲い始める。
この後、非常に激しい妻から夫への性的暴力シーンで、
彼の男性器を角材で、おもいきり殴る妻。
夫は気を失い、その間に、重い農機具(挽き臼?)を左足首を貫通させてネジ留めされてしまった。

意識を取り戻した夫は、とても、妻の狂乱にはついていけないと思い、這いずりながら外へ逃げる。
そして、大木の根の裂け目の穴に逃げ込むが、なぜかしらそこにカラスがいて、妻が必死に探しているというのに、ガーガー鳴いて、見つかりそうになる。
それで仕方なく夫はカラスを叩き殺す。
でも…それでカラスは死んだと思ったら、まだ生きていてガーガー鳴くから、結局、妻に見つかってしまう。

第四章:3人の乞食
そして、危うく生き埋めにされそうになるが、なぜかしら妻は急に反省モードになり、なんとかまだ生かしておいてもらえた。

その後、2人は小屋の中へ戻るが、最終的には、妻は自分を殺すつもりである事がハッキリとわかり戦慄する夫。
やがて、格闘の末に、夫は妻の首を絞めて殺し、遺体を外へ運び出すと、上から灯油を掛けて火を点け燃やした。
まるで昆虫の死骸のように、大勢の人間の屍が横たわっているような背景があり、
夫は杖をつきながら森の道を歩き出す。

エピローグ
夫は、森を出て行こうとして歩いている。
色彩は無くモノトーンの画面。
再び、映画冒頭で流れた「私を泣かせてください」が流れている。
振り返ると彼の目には、3匹の乞食の幻影が見えた。
こちら側を向いて大勢の人達が歩いて来る。

その後、画面は暗転して「アンドレイ・タルコフスキーに捧ぐ。」という一文が表記される。


映画 アンチクライスト 感想



そもそも、この映画には疑問が数多くある。

《アンチクライストの疑問1》
セラピストの夫は、なぜわざわざ、妻が「最も怖い」と言う森へと連れて行ったのか?

《アンチクライストの疑問2》
なぜ妻は子供に左右の靴を反対に履かせたのか?

《アンチクライストの疑問3》
なぜ妻は夫を殺そうとしたのか?

《アンチクライストの疑問4》
3人の乞食の意味するものは?

《アンチクライストの疑問5》
夫が、森を出て行こうとして歩いている時に、反対側から歩いて来た大勢の人達は何者?
                …など。

そう言った疑問の数々を考えずに
「この映画の芸術性に心酔した~」などという知ったかぶりもせずに(正直言って、この映画、私にはよくわかんない。)ただ感想だけを述べるならば…酷い母親であり、可哀そうな子供だった。
あんなに悲しむほど本当に子供を大切に思っていたとは思えない。
もしそうなら、窓を開けたままで、ベビーベッドの鍵もユルユルで、情事に夢中になんてなれない。
小さい子供を持ってる母親てのは、子供の安全のために、常に神経を張り詰めてるのが一般的だと思うもの。
まぁ、大切な子なら、日常的な放置や虐待はしないよね。

一方、この夫の方は、単に「彼も被害者」と言ってしまって良いものかどうか?そこにも疑問が残る。

妻も言っていたけど、この夫、子供が死んだ事をちっとも悲しんでいないように見える。
いくらセラピストだからと言って、子供を失った心の痛みは、どんな職種の親も皆いっしょの筈。
なのに亡くなった子供の事はさて置き、妻の気の病を治してあげて立ち直ろうという前向きな意欲ばかりで、それもまた何か変やと思うわ。
子供を失った悲しみは胸に秘めて、妻のためにひたすら前向きな姿を見せてるが、本当は辛いんだ…みたいな映画の中での暗喩も特に見いだせなかったし。
もし自分の夫が、ああいう人やったらイヤやと思う。

ラストに表示される一行。
「アンドレイ・タルコフスキーに捧ぐ。」
アンドレイ・タルコフスキーは、ソ連の映画監督で「映像の詩人」と呼ばれた人だとか。
ラース・フォン・トリアー監督が、アンドレイ・タルコフスキーに傾倒して、この作品を作ったのでしょうね。
私はアンドレイ・タルコフスキー作品は、観た事ないのですが『惑星ソラリス』というSFが面白そうなので観てみようかな。

映画「アンチクライスト」について、納得のゆく解釈をしているブログさん
↑私はキリスト教に関しても、ラース・フォン・トリアー監督に関しても、ほとんど知識がないので、このように見事に映画を読み解く事が出来ませんでした。
ご自身の映画通ぶりをひけらかす事もなく、
ウザい自己陶酔的自分語りを差し挟む事もなく、
淡々と知的に、
このように納得しやすい解釈を披露されているブログさんは稀なのでとても貴重な存在に感じます。
邦画

エンタメではない映画 自殺サークル ネタバレ・あらすじ・感想


映画 自殺サークル 概要


2002年公開の日本映画。
監督:園子温
ジャンル:不明

女子高生を中心に、人が軽いノリで集団自殺するというインパクトで奇を衒った映画。

映画 自殺サークル ネタバレ・あらすじ



ある日の新宿駅のプラットホームにて。
54人の女子高生たちが、横一列に手を繋いで、走って来る特急の前に「いっせーの!」の掛け声で同時に飛び込むという
前代未聞の集団自殺事件が発生した。
刑事や警察が捜査に乗り出すが、ブームのように繰り返される集団自殺を止められもしない無能集団。
そんな中、度々警察に電話を掛けてきたコーモリという人物がいた。
その通報で最終的に、サイト「自殺クラブ」の主催者ジェネシスが、
一連の事件の首謀者として逮捕される。
しかし本当のところジェネシスは、相次ぐ集団自殺事件に便乗しただけのサイコパスな連続殺人グループのリーダーという存在で、
集団自殺事件とは無関係であった。
だが警察は彼の逮捕で、一連の集団自殺事件にケリを付ける。


映画 自殺サークル 感想



何を目的として作った映画なのか、さっぱりわからなかった。

「インターネットは、個々人を集団自殺に誘い込んでしまうほどの洗脳を行える凶器にも成り得る。」とでも言いたかった?
でも、そんなんじゃないよね?
結局のところ、監督が何を表現したかったのかは最後まで謎。

冒頭での衝撃的な集団自殺事件に「何故?!」と興味をかきたてられるものの、その後は、ひたすら間延びした展開。

コーモリという人物が、電話で警察にヒントを投げかけてくるものの、
その後も、高校生グループや個人が、自殺したり殺害されたりの繰り返しで、
終いには中心になって動いていた刑事の子供たちまでもが突然死んでしまい、
何ら進展もなく捜査は行き詰る。

合間に「デザート」というアイドルグループが歌って踊るシーンが挟まれるのも、意味不明である。
もし「デザートが洗脳の犯人かも~」と、観客に対してミスリードを誘っているのなら、こざかしい演出だ。

人間の皮膚を長方形に切り取ったものを繋げてグルグルと巻いてバームクーヘン状にしたり、血糊を多用して恐怖を煽ったりするのは、
まるで安っぽいホラー映画のよう。

この映画に出て来る自殺する人たちの自殺の理由が1人として明らかにされていないのはどうした事か?
園子温監督は「人は理由もなく自殺する存在」とでも言いたいの?(追記⇒)続編の『紀子の食卓』を観て、やっと、54人の女子高生の自殺の理由はわかるのでした。

続編の『紀子の食卓』(R-15指定)も、面白いとか楽しいとは言えないが、物語としては、この映画よりももう少し整っている。
しかし人命を軽く扱っているように見える点では、この2つの作品は共通している。




洋画(クライムサスペンス)のご紹介です。

映画 愛の犯罪者 ネタバレ・あらすじ・感想・動画(R15)

2018年10月25日に書いた記事を追記し再UP

映画 愛の犯罪者 (R15)概要


2014年公開のフランス映画。
監督: ジャン=マリー・ラリュー、 アルノー・ラリュー
主演:マチュー・アマルリック
ジャンル:エロテックサスペンス

フィリップ・ディジャンの小説『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』を映画化したという割に、小説とは、かなりストーリーも設定も変えられていて最早別物ではないかとすら感じる。

又、同じ小説を原作とした 1987年公開の同名の映画『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』もあり、こちらの方が、より原作に忠実である。



映画  ネタバレ・あらすじ


雪深い北国らしき雰囲気の街の人里離れた山荘で、美しい妹マリアンヌと暮らす大学教授マルク。
ヘビースモーカーで女好きの彼は、教え子の女子大生たちを家に連れ込んでは一夜だけの情事を重ねていた。

だが、それはマルクからすれば、生理的な発散に過ぎず、
相手の生徒の名前すらよく憶えていないほど、恋愛からは遠いものだった。

そんなある日、彼と一夜を共にした女子大生バーバラが消息を絶つ。
その事で警察が本格的に動いているような気配は特になかったが、バーバラの義理の母親でアンナ(マイウェン)と名乗る女性が、大学へマルクを訪ねて来た。
義理の仲ではあるが、帰って来ない娘が心配だと言うアンナ。
何度か会ううちに、マルクに対して積極的な誘いをかけて来るアンナ。
根が女好きだし、ご主人は海外出張中だと聞いて、ついついその気になるマルクであった。

アンナの誘いと前後して、女子大生のアニー(サラ・フォレスティエ)も積極的にモーションを掛けて来る。
マルクは、今回の生徒アニーには距離を置いて接していた。
だがマルクにすっかり熱を上げているアニーの方は、その態度が腹立たしく、
闇の世界の実力者の父親にマルクの悪口を吹き込み、そのせいでチンピラに痛めつけられたり、
危うく大学をクビになりそうになった。

学長に顔の利く妹マリアンヌが取り成してくれたので、何とかクビは免れたものの、
無実なのに「また手を出したのか」と疑わたり呆れられたり散々だった。
そして、それ以降もアニーはマルクにひつこく付き纏いマルクは少々手を焼いていた。
仕方なく、アニーのご機嫌も、ほどほどに取りながら、でも心は、アンナへと流されて行くマルクだが、ここへきて長らく謹んできた妹ともまた体の関係を持ってしまう。
実のところ、マルクと妹は元々、彼らがまだ少年と少女の頃から、実の兄妹で愛し合う関係だった。
そんな我が子らを、激しく咎め、二人に折檻した実母を邪魔に思ったマルクは家に火を点け、両親が焼け死んだのだった。
それ以来、マルクには夢遊病の症状が時折現れるようになっていた。
夢遊病になっている間に犯した犯罪については、マルクは全く記憶がなかった。
しかし、近頃、アンナの家を訪ねて情事を楽しんだ後で、車に戻ってみると、後ろの座席に警官の死体があり、おそらく夢遊病の間に自分が殺害したのだろうと思い当るマルク。
マズい事をしたと思いながらも、マルクは警官の死体を背負って山へと入って行き、斜面から投げ捨てる。
自分自身も雪の上に俯せになりながら、必死に事を済ませた時、彼の視線の先には、山の斜面の木の根元に引っ掛かった女の遺体が見えた。
行方不明になっていたバーバラの遺体だ。
「やはり…彼女の事も、自分が手にかけていたのか…」
と気付いて、遺体の傍に行くと「バーバラごめんよ。」と詫びたが、偽装のために、もっと深い谷底へと投げ捨てた。

だが、このようにズサンな犯行が野放しにされるほど、世間は甘くなく…マルクが本気になりかけていたアンナこそが、マルクの身辺を探るために近づいた女刑事だったのだ。

とは言え、物事は計算通りにはゆかぬもので、アンナは、マルクを本気で愛してしまっていた。
そんな二人が、この後辿った道は…?!

映画 愛の犯罪者(R15)感想


文学的に見せようとしている事はわかるが、主人公が言葉で屁理屈をこね回しても、やはりそれは屁理屈でしかなく文学とは違うものに感じられた。
主人公が昔、小説家になりたかったのだが、ある時期に自分にはその天分が無いと悟り夢を諦めたと、アニーに話していたので、それはそんな具合の不毛な屁理屈こきに過ぎないという事で、正解なのかもしれないが。

それとね…主人公が大学で受け持つ文学の講義で、日本の漫画家の上村一夫っていう人が言った言葉を話してて、あまり聞き馴染みのない漫画家さんの名前だったので調べてみたら、どっかで見たような画風で、昭和時代中期にかなり有名だった方みたいなのね。
それで、上村一夫先生の漫画を掘り起こして、一つ拝読してみましたが、モロにエロ漫画でございました。
この映画の監督の表現したいエロスに通じる部分があるので、わざわざ、お名前が出てきたんでしょうね。
日本人でも世代のずっと上の方々しかご存じない大御所を持ってくるとは、かなり監督さんマニアックですね。

主人公と妹が共にヘビースモーカーという設定だったけど、この設定、必要あるのかな?
ラストに主人公が煙草に火をつけて爆死ってとこで、スモーカーである必要はあったとしても、別にヘビーである必要はなかったような…。

近親相姦、教え子と出来ちゃう大学教授、夢遊病の果ての死体遺棄など、各種変態競技で存分に活躍し、最後には爆死という派手なフィニッシュを遂げた主人公に拍手!
グッジョブ!!(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
邦画(R15)のご紹介です。

映画 ミスミソウ ネタバレ・あらすじ・感想(R15+)


映画 ミスミソウ 概要


2018年4月公開の映画。
監督:内藤瑛亮
原作: 押切蓮介「ミスミソウ完全版」(双葉社刊)
上映時間:114分
ジャンル:精神破壊(メンチサイド)ホラー

──ミスミソウのように厳しさに負けずに花を咲かせたかった…そんな何処にでもいる少女を復讐の鬼にしたものは?──
ミスミソウとは、キンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。雪の下でも常緑であることからユキワリソウの名でも知られる。


ジャンル:サスペンスホラー

映画 ミスミソウ ネタバレ・あらすじ


父親の仕事の都合で、東京の学校から、雪国のとある村の中学校に転校して来た野咲春花は、クラスメイトから壮絶なイジメに遭っていた。
家族に心配を掛けたくなくて、春花はイジメに遭っている事を隠し、中学校卒業までの残り2カ月間を懸命に耐えようとしていた。
しかし、いつしか家族に知れる事となり、父が学校まで担任に話をしに行ってくれたが「うちのクラスの生徒がやったという証拠もないし…もうすぐ卒業だから穏便にお願いします。」などと言って全く話にならない。

父兄の話に前向きに取り合うべきという概念が欠如した無責任な学校と知った家族の勧めで
「春花は卒業まで登校拒否をして家で過ごしていいからね。」という事になった。

ところが、春花の長期欠席のため、イジメの対象が不在となった学校で、
再びイジメられっ子に返り咲きかけた流美が訪ねて来て「学校へ登校して欲しい。」と頼む。
でもその理由が「あなたが来てくれないと、私がイジメられてしまうから。」と言うのだから、なんとも身勝手で、春花はとても、また学校へ行くとは言えなかった。

それから数日後、
春花に理不尽な恨みを募らせた流美は「殺してやる。」と灯油が入ったポリ容器を持って春花の家へ向かう。
流美の行動を嘲笑いながらも一緒について来た男女複数名たち。
彼らは悪ふざけのうちに、流美主動の下で、
春花の父、母、妹に灯油を掛けて焼き殺す。

その日、春花は相場晄(あいばみつる)とデートに出かけており不在で夜になってから戻ると家が炎に包まれて燃え上がっていた。
相場は、家族を心配する春花に代わって家の中へと飛び込み、妹の祥子を助け出してくれた。
だが祥子の身体は真っ黒に焼けただれており無残な姿であった。
祥子はすぐさま病院へ運ばれ一命を取り留めたが、意識不明の重体。
両親を失った春花は、病院に毎日通いながら、
訃報を知って村に駆け付けて来た祖父と共に暮らす事となった。
傷心の春花に寄り添い励まそうとする相場だったが…信頼出来る優しい人と思っていた彼にも、本当は人には知られたくない裏の顔があり…。

やがて放火事件の真相が露見する事を恐れたイジメっ子らは春花を呼び出して自殺を強要する。
しかし、その時、事件の真相を知った春花は、一瞬にして人が変わったように、家族を奪ったイジメっ子らに、凄惨な復讐を開始するのだった。

映画 ミスミソウ 感想


割と思ってたよりも、春花が復讐を開始するのが早かった。
上映時間が3分の1経過したところで、それは始まる。

この日、声も出せなくなるほど心に大きな傷を負った春花は、それでも学校へ登校した。
そんな春花の存在が邪魔だと感じた吉絵が、後2人のクラスメートと共に春花を呼び出して自殺を迫るシーンとなる。
この時、母が苦しんで焼け死ぬのを見たと聞かされた春花の怒りが沸点を超え、彼女は豹変し、そこから、壮絶で残虐な殺しのシーンが始まるのだ。

しかし…春花の武器は、たまたま、その場に落ちていた古釘であったり目打ちであったりするのだが、
いや、その武器でそこまでの破壊力はないでしょうと思えるくらいに人体が、えげつなく損傷する。
だって、古釘の一打ちで目玉が飛び出し掛けたり、目打ちの一振りで指が数本切れてしまったりとか、あり得なくない?

監督はきっと、とにかく惨たらしく撮りたかったんだろうね。

いずれにせよ。突っ込みどころ満載の映画なんですよ。

まず、ここまで機能しないこの村の学校や警察って一体どうなってるんだろうという点が不思議。
そして、先生もクラスメートも、父兄も、
やたらどいつもこいつも狂い過ぎてる。
出演者の中で狂ってない人間を探す方が難しいくらいみんな異常。

復讐のストーリーは好きなんだけど、登場人物のほとんどの人が常軌を逸しているんでは、やはりバランス的におかしいのではないだろうか?
とは言え、この原作漫画が大ヒットしたというのだから、読者は、そういう日常から掛け離れた殺伐とした世界観を求めているのかもしれないね。




洋画のご紹介です。(若干、映画ネタバレです。)

映画 2300年、未来への旅(1976) ネタバレ・あらすじ・疑問・感想


映画 2300年、未来への旅(1976) 概要


1976年公開のアメリカ映画。
監督:マイケル・アンダーソン
原題:Logan's Run (ローガンの逃亡)
ジャンル:SF

西暦2274年。人類は巨大なドーム型の空間都市に住んでいた。そこではコンピュータの自動制御装置が何不自由ない生活を提供し、人々は遊び暮らしていればよかった。
ただし誰でも皆30歳になれば、“回転木馬”という儀式が待ち構えている。
“回転木馬”とは実際には集団死刑の事であるが、人々は、この儀式を行えば生まれ変わる事が出来ると信じ込まされていた。

映画 2300年未来への旅(1976) ネタバレ・あらすじ


西暦2274年。
戦争、汚染、人口過剰を経て、生き残った人類は、
ドームで覆われたシティに住み、外界を忘れてしまった。
ドーム内はオートマチック、サーボ機構。
人類の数は常に一定数を保ち続けるように制御。
常に清潔な快適空間で暮らす事が出来たが、
その代わり、人生は30歳で一区切りとされ、
「30歳になると〝火の儀式”を受けて生まれ変わらねばならない。」というお約束が、すべての人に掟として課されていた。

主人公のローガンは、ここでサンドマン(未来警察)の役割を担っていた。
サンドマンはドームから逃亡しようとする者を抹殺するのが任務であった。
素直に生まれ変わりを信じていたローガンは「おとなしく火の儀式を受ければ、生まれ変われるのに、なぜ逃亡して抹消されてしまうのか?」と、逃亡者らの考えを不思議に思っていた。
日々、サンドマンの任務を真面目に遂行していたローガンであったが、ある時、コンピューターから「逃亡者たちの聖地を発見し破壊せよ。」という指令を受けた。
そして、逃亡者を装うために、まだ26歳にも関わらず腕に嵌めた残り時間を示す生命クロックを30歳近い年齢である事に変更されてしまう。
「後で4年分の時間を返して欲しい。」と訴えても、コンピューターに冷ややかに無視された上に、
ローガンは、この時のコンピューターとのやりとりから、儀式を受けた者たちが一人も生まれ変わっていない事を知ってしまう。
生まれ変わりとは嘘っぱちで、30歳になった人たちは、ただ無残に殺されていただけ──過酷な現実を知ったローガンの状況は一変し、それと同時に考え方も180度変わる。
この時から、ローガンの聖地を目指す逃亡が始まった。

ローガンは、今はもう「殺されたくないから逃亡する。」との心理を完全に理解出来たので、逃亡者を粛清する事を止めた。
そして、“回転木馬”(火の儀式)に以前から疑問を持っており、聖地の事も知っているジェシカと共に、自身も逃亡を開始する。
だが、その逃亡の道筋には、思いも寄らぬ秘密と困難が待ち受けていたのだった。

映画 2300年未来への旅(1976) 疑問


シティの支配者層は誰で何処にいる?
そもそも何のための人口制限なのか?
扉の向こうの氷の世界は何?
氷の世界にいたロボットみたいなのは何者?
外界で生存可能なのに、何故ドームで隔離?

映画 2300年未来への旅(1976) 感想


この映画の翌年に作られた『スターウォーズ』に比べたら、セットがショボいとか、未来の物語なのに昔じみているとか、さんざん言われたらしいですね。
セットは確かにミニチュアだと一目でわかりましたが、
逃亡途中に水が外から流れ入って来て溺れそうになるシーンなどは、なかなか迫力があって悪くはなかったです。

未来の人の衣装は、ヒラヒラの蛍光色で「未来人」と言うよりは「竹の子族」という感じでしたが、
スターウォーズも衣装面では大差なかったような…ww

邦題の『2300年未来への旅』は、映画の内容に全然、合ってないと思います。
実際には未来への旅は行われてませんからねww
「自分たちは、これから人類の営みをやりなおすぞ!」という映画のラストの人々の気持ちを汲んだつもりで
「じゃあ、これから皆で未来へ旅立つんですね~」と思って、このタイトルを付けたんでしょうけど…このタイトルから、そこまで察するのは到底無理。
それより、もっと映画の内容のカケラでもいいから伝える邦題にすべきでは?
そう思うと、あまり上手い邦題の付け方とは言えません。

さて、この映画では、30歳での死を受け入れるべきか、抗うべきかが争点になっています。
これは、過去に人類が遭遇したという人口過剰問題に対処するために生まれたルールかと思われますが、
矛盾しているのは、ルールや法律などの決まり事は、状況に応じて見直されるべきであるという当たり前の事が、なされていない事ですね。
映画で見る限りでは、この世界の残存人類は、そんなに大所帯ではありません。
2018年現在、地球上で最も人口が多いとされる中国人(13億以上)とインド人(13億以上)の姿は見当たらず、アメリカ人(3億と、もうちょっと)と欧米人しかいないように見えるのに妙ですね。
だけどおそらく、このドームの中には3億人も絶対いないですよ~。

そして、この映画の最大の矛盾は、システムを作った責任者の存在がチラリとも見えて来ない事でしょう。
人類以外の動物も含めて、その数が群れになると、必ず統率する存在が必要になります。
このドームのシステムやルールも、当然、その統率する側の人たちが決定し作り上げたのだろうと考えるのが妥当でしょうが、一体そやつらは、今、何処で何をしているのでしょう?
コンピューター(人工知能)の自動制御でシステムが運営されているとの事なので、昔にでも「人工知能の反乱があり、人類の管理者側の人々が全員、殺されてしまった。」とするような話の流れでもあれば、納得出来るのですが、
そういうのもないし「どうなってるのかな?」と不思議に思うばかり。
そのために物語全体が整合性を失って、空々しい嘘話にような印象を残してしまいました。

だけども、ま、私個人としては、
この映画の持つ雰囲気は、嫌いじゃありません。

30歳以上の人物を見た事がないという設定なので、外界に出て初めて老人を見た時の不思議そうにする様子は面白かったです。
でも…老人が、ローガンとジェシカに「昔、どこかで見た顔だ。」と言った理由くらいは知りたかったわ。
この言葉で、私はてっきり、ローガンとジェシカが何らかの理由で過去へタイムスリップし、そこで子供をこさえて、それがこの老人なのかと無駄に想像してしもたやないの~。



娯楽(エンタメ)ではない映画について

基本、人は映画を観る時、そのエンターテイメント性に期待して観るのではなかろうか?と、私はそう思ってるんですが、
作り手側の方では必ずしも、観客を楽しませる事を目的としたエンターテイメント性に富んだ映画を作るとは限らないようです。

エンターテイメントの提供が目的の映画以外には、
哲学的な、あるいは文学的なメッセージを伝える事が目的の映画や、
何事かの啓蒙活動のために作られる映画もあるようです。

映画通(フランス語ではシネフィルと言うらしい)ぶる人にとっては、エンタメ映画だけではなく、時に評論家に高い評価を得るそれ以外の映画も理解し堪能出来るほどの知力がないと、映画通ぶり続ける事は難しいのではないでしょうか?

私の場合は、映画通などとはほど遠く、ただただ楽しめる映画を常に求めているだけの凡庸な人間です。
それゆえに、たまたまランダムに鑑賞した映画がエンタメ以外の楽しめない映画だった場合、ガッカリします。

そういった意味で、最近、私のガッカリしたエンタメ以外の映画のタイトルを挙げておきます。

八つ
広場恐怖症と強迫性障害を患い2年間も1人で部屋に閉じこもりっきりの女性の、ある日の日常生活の1時間21分を、切り取って撮影しただけのようなドキュメンタリータッチの映画。

通常の映画のような起承転結のあるストーリーとは無縁な、ただただ長回しで朝から、その女性の住む部屋で、その女性の行動を1時間21分という上映時間一杯に、ノンストップで映し続けている。
見ていると、この女性は「清潔」という事に異常な拘りがある様子で、朝起きてから3~4回はシャワーを浴びるんですが…その度にナイロンタオルかボディーブラシのようなもので石鹸を泡立てて、力任せに身体を擦っていて、皮膚が痛んで傷だらけになっています。
見るからに痛々しいのですが、何かの拘りで、済ませた筈のシャワーを何回も繰り返します。
部屋のいたる壁という壁にメモが張り付けてあり、どうやらそれは、拘りの強すぎる自分を止める言葉ではないかと思われるのですが、ちっとも役にたっていません。
台所へ行っても、水回りで同じ場所ばかりをゴシゴシと何度も擦っては水を流して清潔空間を心掛けているみたいですが、何故か同じ場所ばかり掃除していて、
床などは、どのエリアでも1度も掃除してなくて、綺麗に磨き上げる場所が偏っているようでした。
朝起きてから、同じ行動を何度も繰り返すので、
シャワーを済ませて、服を着替えて、髪を整え、
お茶を一杯、沸して飲むというだけの事をするのに、1時間以上の時間を費やしていて、とっても重症のように見えます。

関西では、こういう気質の事を燗症病みと言って、
私もある程度はこのような傾向のある人間なのですが、病気というほどの事はないので、
そういう傾向が少しはある私から見ても、この女性は相当に病んでいるのだという事は良くわかります。
ご本人にとっては深刻な問題である事はわかるのですが、これを映画にしたのは何故なのか?と考えたら、
やはり「強迫性障害とは、このような病気です。」という事を世間の人に広く知ってもらって理解を求めるため。…としか考えられませんでした。

見て時間を損したとまでは思いませんが、明らかに観客に楽しみを提供する事を目的に作られたエンタメ映画とは違いました。

《哲学的な映画》『2001年宇宙への旅』と続編『2010年』


この映画たちは、一応、SFの括りに入るものですが、
通常のSFのように何らかの使命を持って宇宙へ向かう宇宙飛行士らにスポットを当てて語られる話ではなく
「モノリス」という謎の物体を中心に話が展開します。

『2001年宇宙への旅』ですが、
まぁ一応、途中少しだけ物語っぽい展開もあるにはあります。
宇宙船ディスカバリー号に乗り込み、木星探査へ向かうデビッド・ボーマンと、後何名かの宇宙飛行士とHAL(ハル)という頭脳のみならず感情も人間並みのコンピュータ君。
この人間対HALの間で信頼関係が損なわれた結果、HALがボーマン船長以外の乗組員を全員殺害するというとんでもない事件が起こります。
この辺りがこの映画の最大の山場ですね。
ボーマン船長はHALの思考部を停止させた後に木星探査の真の目的が「モノリス」であった事を初めて知り、探査を続行した結果、木星の衛星軌道上で巨大なモノリスと遭遇。
だが…そこで彼の消息は途絶える。
この後の映像は特に説明もなく、哲学的なイメージ映像で語られるので、ちょっと理解が難しくなっています。


続編の『2010年』で、やっとボーマン船長が、その後、どうなったのかが判明します。
それによると、彼はボーマンという個体の身体から抜け出て、宇宙生命体の一部と化したのだとか…まるで手塚治虫の『火の鳥』と同じ事を言ってるんですね。
因みに、手塚治虫が火の鳥の中で語る宇宙生命体とは「生命をエネルギーと捉え、その生命エネルギーが集まり一塊になったもの。」なのだそうで、これも科学的というよりはむしろ宗教的なような気がします。

というわけで…やはりエンタメを意識せずに作られた哲学的な映画というものは、俗物の私などには難し過ぎて、敷居の高い映画だな~と感じられ、
やっぱり、あまり難しい事は抜きにして、無条件に楽しめるエンタメ映画が好きですねぇ~。
まぁ、いわゆる豚に真珠。猫に小判ってやつですかね?ww

邦画のご紹介です。

映画 肉体の門 (1964年)ネタバレ・あらすじ キム・ビョンオクにそっくりな玉川伊佐男


映画 肉体の門 (1964年) 概要


1964年公開の日本映画。
監督:鈴木清順
原作:田村泰次郎の小説(1947年発表)
配給:日活
5回も映画化されており、本作は二度目の映画化にあたる。

映画  ネタバレ・あらすじ


第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)。
アメリカ進駐軍の占領下にあった混乱期の東京で、自らの身体を売って生きている女たちがいた。
彼女らは在日米軍兵を相手に商売をしていたが、
有楽町の廃墟ビルを根城にするおせん(関東小政の異名あり)が率いるグループだけは、米兵とは寝ないという固い掟を持って暮らしていた。
おせんのグループには他に、他の娼婦に縄張りを荒させない、金を貰わずに男と寝ないという掟があり、もし破れば容赦なく酷い制裁を受けるんだと言い聞かされて、
17歳のマヤは仲間に入れてもらう。
マヤは、たった一人の兄をボルネオで亡くし、外国兵にレイプされ、頼る人もなくこの場所へ流れ着いて来たのである。
おせんはいつも赤い下着に赤いドレス。
ジープのお美乃は紫の下着に紫のドレス。
ふうてんお六は黄色の下着に黄色いドレス。
そして町子だけが着物姿で他の女たちとは、ちょっと距離を置いているように見えた。
マヤは黄緑の下着とドレスを与えられてそれを身につけた。

ある日、廃墟ビルに、進駐軍の兵隊を半殺しにした復員兵の新太郎が転がり込む。
足に怪我をしていたので、おせんたちは治療してやり、暫く匿ってやる事にした。
新太郎は鍛え上げた逞しい肉体をしており、
グループ全員が、新太郎を憎からず思うようになるが、抜け駆けする事も出来ず、自制しながら共同生活を送る。

そんな時、町子が小笠原という馴染み客と無料で寝ているのがバレて、怒ったおせん、マヤ、お美乃、お六は、
町子を裸にしてロープで宙吊りにし竹刀で力任せに叩くというリンチを加える。
さんざん血が出るほど叩いた後、おせんが剃刀まで持ち出して来たのを見て、それまで黙って見ていた新太郎が止めに入る。
それで切り刻まれるのだけは免れた町子。
新太郎に兄の面影を見ていたマヤは、その後もどんどんと彼に惹かれて行く。
だが、やがて怪我の治った新太郎は、盗んだ進駐軍のペニシリンを売りさばいたら、この場所を去るつもりでいた。

おせんの口ききで新太郎は、この辺りを牛耳るヤクザの吉野組の石井にペニシリンを売る商談を成立させて先に代金を受け取った。
その夜、盗んだ牛を殺して売った残りの牛肉を食べ酒を飲み、みんなで歌って騒いだ後の事。
新太郎に気があったおせんが彼に迫るものの、あっさりとフラれてショボくれて、外にいた。

ところが、新太郎は、その後、マヤの誘いを受けて肉体関係を持つ。
そして新太郎は「俺と一緒に誰も知らない土地へ行くか?もしその気があったら、9時に日の出橋で待っててくれ。」と言い残して、出て行った。

物陰でこの会話を聞いたおせんは激怒して、マヤに激しいリンチを加える一方で、
新太郎がペニシリンを持って隠れている事を吉野組と米MP(憲兵隊)へ垂れ込む。

新太郎は彫師の彫留(玉川伊佐男)に預けてあった戦友の遺品を受け取ると出て行った。
朝が明けるまでの間、新太郎がどこにいたのかはわからないが、翌朝には日の出橋の上で煙草をふかしてマヤを待つ新太郎の姿があった。
何も知らずにいた新太郎に向け放たれたMPの拳銃の弾が、彼の胸を打ち抜き、背中から川へと落ちた新太郎。
吉野組の連中がそばに寄ると既に息はないようであった。

そうとも知らずマヤは日の出橋に走って行くが、
そこにはもう新太郎の遺体もなく、川の中で彼女が見つけたものは、兄が出征する時に、家族や近所の人たちと書いた日の丸の旗の寄せ書きだけ。
マヤが兄の思い出として後生大事に持っていたものだった。

(終わり)


映画 肉体の門 (1964年) 感想



実は、かたせ梨乃 が主演を務めたという(1988年)の『肉体の門』を観るつもりが、間違えて、もっと古いのを見てしまったのですが、画質は綺麗でした。
たぶん修正されてるのかなって思います。

第二次世界大戦後って、まぁ確かに混乱してたのでしょね。
現代ではもちろん売春は禁止されていますが、ま、それに近いもの、あるいはこっそり行われるそれって、全部その道の極道の方が取り仕切っておられるかと思うのでして、
女性本人が自らの意思で直接、買い手を探して身体を売る。誰にもピンハネされずに。って事が出来ちゃうのは混乱してたからかと。

ピンハネがなければ、確かに実入りは大きいでしょうけど…吉原の花魁のように、どこかに所属してないので、病院で定期健診をして病気の早期発見を心掛ける事もしてないかと思われ、その点、吉原以上にヤバいですよね?!

自らの意思で自らの身体を売るという事もそうですが、
この映画に登場する人物からは皆、もの凄くエネルギッシュな熱情のようなものが感じられて、
そういう点で、今の時代のクリーンで冷めた映画とは全く違うな~と感じました。
この熱気を帯びた演技って…日本にはないけど、韓国ドラマや映画には今でもあります。
喜怒哀楽のハッキリしたそういう感情表現の方が、私の場合は好きなので、この『肉体の門 (1964年)』にも惹きつけられた事は確かです。

そして、国境を越えてまたまた似ている韓国俳優と日本の俳優を発見!
彫師役の玉川伊佐男という方が余りにも韓国俳優のキム・ビョンオクにそっくりなので、キム・ビョンオクさんにも是非見せてあげたいぐらいです。
本人が見たら「えっ!?どうして俺、日本の昔の映画に出てるんだろう?まだ生まれてなかったのに。」って驚くのではないでしょうか?


ドラマのご紹介です。

ドラマ 女子的生活 ネタバレ・あらすじ・感想



ドラマ 女子的生活 概要


2018年1月5日~ 1月26日放送のNHK大阪放送局制作のドラマ。
製作総指揮:三鬼一希
演出:新田真三/中野亮平
原作:坂木司の短編小説『女子的生活』
主演:志尊淳

みきは、身体が男で心は女、恋愛対象は女というトランスジェンダー。
実際のトランスジェンダーである西原さつきが、女性らしい所作や発声の指導を担当した。

ドラマ 女子的生活 ネタバレ・あらすじ



ファストファッション会社でOLとして働くミキは、心は女、身体は男のトランスジェンダー。
だけど恋愛対象は女の子のレズビアン専科。
女に日々、磨きを掛けながら、毎日の女子的生活を満喫していた。
そんなミキの本名は小川幹生であって、ある時、家に、
故郷の香住で同じ高校の同級生だった後藤が転がり込んでくる。
後藤を迷惑がっていたミキだったが、ズルズルと同居するうちに後藤の方では、すっかりミキに友情を感じていた。
ミキの同僚や、後藤の会社関係の友達を巻き込んでコンパやパーティでチャラチャラ遊んでいるうちに、ミキには彼女が出来たりもしたけれど『きっと物珍しさが手伝っての事よ。」と相手の気持ちを推測して、あまり熱くなり過ぎないように自分の感情をコントロールして生きるミキ。

差別的な事を言われるのは結構慣れっこで、あまり何も感じなくなってしまってる。
それよりも、自分との友情のために、青春ドラマみたいに熱くなって、差別的な暴言吐いた相手に言い返してる後藤を見る方が恥ずかしくて我慢出来ない。
だから、その場から逃げ出してしまい、そういう時の避難場所は水族館。
辛い時や鬱憤が貯まった時は、いつも水族館へ行ってハナミノカサゴを眺めては気晴らしをしていた。

自分は結婚とかは無理だろうと思っているし、先行き不透明で、一体自分はこの先どうなって行くんだろう?とぼんやり考えたりするけど、
一晩寝たらまた、女子を楽しんで今日を生きる。

色んな人と出会って懐かれたり貶されたり好いたり別れたりしつつも、ミキの女子的生活は続いて行く。

案外いいやつなので、後藤との同居生活も続く。


ドラマ 女子的生活 キャスト


小川みき(志尊淳)
後藤忠臣(町田啓太)
かおり(玉井詩織)
仲村さん(玄理)
ゆい(小芝風花)
板倉(羽場裕一)

ドラマ 女子的生活 感想



このドラマって、神戸が舞台なのに、出て来る人の言葉が全員標準語なんですよね。
そういう矛盾って、民放のドラマでは結構有りがちなんやけど、NHKさんでは珍しいんやないのかな?

神戸のあちこちの街でロケしてますけど、水族館のシーンは須磨海浜水族園だそう。
神戸の子供がよく遠足で行く場所ですよ。
ミキが眺めていたハナミノカサゴていうお魚はコレですが、このシーンのために、わざわざ特設水槽をクラゲエリアに設置したんですって!
凝ってますね。
 
 ニューハーフとトランスジェンダーの違いに関しては、劇中でもミキ本人による説明があるけど、ちょっといい加減やねww

トランスジェンダーは幅広い意味があるので、ニューハーフも、その中の一種みたいよ。

トランスジェンダーは、境界を越えるという意味の「トランス」と、性別という意味の「ジェンダー」の合成語で、
伝統的に社会で認識されている性別ごとの役割に囚われない個人やグループを指して「トランスジェンダー」と呼ぶ。
個人では、その身体的性別と、意識上の性別が一致しない人を指し、意識上の性別認知は、単純に女か男かだけではなく、グラデーションを描くように、女寄りの男や男寄りの女など、そのどちらでもない状態も含まれる。

トランスジェンダーとニューハーフとの違いで、一説には
外科的手術をTG=してない・NH=してるという分別もあるが、
一般的には、お水系のお仕事の人をニューハーフと呼び、必ずしもニューハーフが外科的手術をしているというわけでもない。

また、トランスジェンダーと性的指向は別もので、通常の男性や女性にも同性愛があるように、トランスジェンダーでも好きになるのが身体的特徴からしての同性(精神面からの異性)とは限らない。

…という予備知識がないと、よくわからない部分もあるドラマなんだけど、そういうわけで、ミキは身体は男で心は女だけど、好きになるのは女の子。
意識上のレズビアンなのだそうで…でも、そしたら、結婚も出来ると思うんだけど、そういうのは具体的にイメージ出来ないらしくて、
将来の展望が描けずにモヤモヤ~としてるミキ。

まぁ、そうなのかもしれないね…。
子供が生まれたとして、ママが2人でパパのいない家庭になってしまうわけだから、色々周囲と折り合いを付けて行くのが大変で、考えただけで邪魔くさいかも。

かと言って、一般の男女でも結婚したからと行って順風満帆に行くとは限らないのが人生だから、
ミキのように、沢山の恋愛をして毎日を楽しんで生きる事が出来れば、人生、それで上等なんだろうな~なんて思いましたわ~。