映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね -24ページ目

映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

映画のネタバレ・あらすじ・キャストを最終回までや日本、韓国、中国、米国の映画・ドラマから面白いものを選んでネタバレ・あらすじ・感想を書いています。 

洋画のネタバレです。

映画 人類SOS! ネタバレ・あらすじ・感想



映画 人類SOS! 概要



1962年公開のイギリス映画。
監督:スティーヴ・セクリー
原作:ジョン・ウィンダムのSF小説『トリフィド時代』
脚本:フィリップ・ヨーダン
ジャンル:SF
上映時間:94分


映画 人類SOS! ネタバレ・あらすじ



その年の、ある時、突然に「空前の流星群が降って来るでしょう。」と世界各国で発表があった。

有史以来、最大規模との事で、天文学者による観測・研究・発表では「流星は地球に届く前に燃え尽きる。」とされた。
思いがけない気象観測のプレゼントに、人々は喜び、誰もがこぞって、その日、夜空を見上げていた。

ところが、一夜明けると、流星群を見た人々は皆、失明してしまった。

そんな中で、アメリカ人船員ビル・メイスン(ハワード・キール)は、10日ほど前に視力回復の手術を受けたため、
流星群を見る事もなく入院・療養中であった。
そして、流星が降ったその翌日に、ビルが包帯を外してみると、誰もかれもが失明しているという異常事態に遭遇する。


一方、人里離れた島の灯台に住む科学者夫妻も、流星群は見ていない。
妻のカレン・グッドウィン(ジャネット・スコット)は生物の研究に専念していたが、
夫のトム・グッドウィン(キーロン・ムーア)は、酒好きなのに、週に1度来る船でしか酒が入手出来ないこの島での生活に嫌気が差していた。
流星群が降った日にも彼は
「次の船が来たら島を出る!」と一方的に妻を怒鳴りつけていて、
仕方なく妻は研究を中断して翌日、船が来たら、夫の意向に従うつもりでいた。


この頃、トリフィドという名の食用植物が栽培されていたが…その数は定かではない。
欧州各地の人々が流星群を見た翌日に失明するという事件と時を同じくして、このトリフィドが歩き出して、
あちらこちらで人々を襲い捕食するというとんでもない事態となった。
流星群とトリフィドの関連性は明らかではないが、とにかく突然変異としか言いようがなかった。

目の見えなくなった人々は次々に襲われ、人類が壊滅状態となってゆく一方で、
トリフィドは、綿毛の胞子を飛ばして、瞬く間に繁殖していく。

ビルが外へ出ると、街中は、目の見えない人達で混沌としていた。
そんな中で、ビルは急停車した列車から降りてきた目の見える少女スーザン(ジャニナ・フェイ)を救い、
安全な場所を求めて一軒の豪邸へと辿り着く。
そこでは、まだトリフィドの脅威は知られてはおらず、
目が見える3人が、盲目になってしまった人々のお世話をしながら暮らしていた。

ビルはその家にいた目が見えるクリスチャン・デュラント(ニコール・モーレイ)という女性に、
ここから離れてスペインの基地に行った方がいいと勧めるが、
クリスチャンは目の見えない人たちを置いて行くわけにはいかないと拒む。

しかし、その夜、ビルの留守中に、
脱走した囚人らが集団で館に押し入って来て、女性らをはべらせてどんちゃん騒ぎを始めていた。
それを知ったビルは、クリスチャンだけを連れ出して、スーザンと3人で押し寄せるトリフィドを焼き払い、車で屋敷から脱出した。

もうその頃には、トリフィドが屋敷に詰めかけて来ており、屋敷の中に残っていた人々は、目が見える者も見えない者も全員が襲われた。
目の見えない者の中には、悲しいかな自ら、トリフィドに近づいて行き餌食になる者もいた。
その後、生存者がいたか否かは不明であるが、おそらくは全滅の模様。

ビルたちは途中で目の不自由な夫妻の家へ立ち寄ると、
奥さんの出産を助けた。
ここの家は金網で四方を囲まれていたが、その周辺に、夥しい数のトリフィドが後から後から押し寄せて来る。
奥さんが無事出産を終えた頃、
スーザンが、トリフィドたちが音に反応して集まって来ている事に気付く。
ビルはこのトリフィドの習性を逆手に取り、自分が、車の中で音楽を鳴らしながらトリフィドを引き寄せて走り出した。
トリフィドたちがビルの乗った車を追いかけていなくなると、その隙にもう一台の車に乗ったクリスチャンとスーザンと、この家の夫妻は、アリカンテの港を目指して出発した。
アリカンテの港には民間人を救うための最後の潜水艦が停泊している。
この報道は予めビルが無線機からキャッチしてあった。

ビルは十分にトリフィドたちを引き離すと、音楽テープを流したままの車から脱出して徒歩で港を目指した。

アリカンテの港にて、
スーザンとクリスチャンが気を揉んでビルの到着を待っていた。
出航5分前となった時に、少し離れた岩場の上に姿を現したビルは、ゴムボートで救出され、めでたし、めでたし。


一方、海岸の灯台に篭もっていた生物学者夫妻は、家のドアを破って侵入して来た複数のトリフィドに灯台の一番上まで追い詰められていた。

武器もなく、そこにあったのは消火用の海水が出るホースだけ。
それをトリフィド目掛けて浴びせてみたところ、トリフィドは見る見ると溶け始めた。
こうして夫妻は危機を脱した上に、トリフィドの弱点も発見し、人類は救われたのである。


映画 人類SOS! 感想



いやあ、とにかくトリフィドの動きがトロい!ww
根っこを足代わりに歩いてるせいなのか?
ヨチヨチ歩きなんですよww
だから迫力も緊張感も全然ないんだけど、昔の映画だから、特撮技術もなかったろうし、その点は仕方ないのかな?

トリフィドの弱点が海水って、海辺の近くでは樹木が育たないってよく聞くんで、説得力あると感じた。
そこで調べてみたら、雑草の除草に塩を使う方法もあるにはあるらしい。
(ただし、塩は土壌では分解されないため、雑草だけではなくて、すべての植物が生えて来なくなるし、酸化によるコンクリート剥離などを引き起こして住居に悪影響なので、やめた方がいいとか。)


クリスチャンさんは、あんなにキッパリと「みんな昔からの友人なのに見捨てられないわ!」と言い張ってたのに、
囚人に押し入られて自分の力では抗えないとなると、見切りを付けるのが早くてビックリ!
やっぱり人間は自分の身が一番可愛いのね(T_T)

襲われた人の死に様が、スプラッター式ではなくて、チューペットみたいに中身を吸い出されて萎んでるような風に見えた。

トリフィドが音に反応するという設定が、ほらウォーキング・デッドでウォーカーが音に反応するのと同じなんだよね。
この設定を極端にすればクワイエット・プレイスだしね。

洋画のご紹介です。

映画 クワイエット・プレイス ネタバレ・あらすじ・感想~クワイエット・プレイス2制作も決定!

クワイエット・プレイス
( シネマカフェ権利所有?>クワイエット・プレイス 17枚目の写真・画像

「クワイエット・プレイス」続編は2020年5月公開


続編でも脚本と監督は、ジョン・クラシンスキー。

映画 クワイエット・プレイス 怪物の生態


盲目だが、極めて鋭敏な聴覚を持ち、食虫植物のように顔中が口。

ところで、食虫植物と人類の終末と盲目いう3つの要素では、映画『人類SOS!』がある。(こちらは盲目は人類の方)

映画 クワイエット・プレイス 概要



2018年公開のアメリカ映画。
監督:ジョン・クラシンスキー
主演:エミリー・ブラント
ジャンル:サバイバルホラー
上映時間:121分

新体感ホラーと銘打っているが、叫び声を上げたら刺されるデッド・サイレンスと類似しているようにも思えるけど、どうなんだろう?

監督で父親役のジョン・クラシンスキーと主演のエミリー・ブラントは実生活でもホントに夫婦。

映画 クワイエット・プレイス ネタバレ・あらすじ



[※この映画では特に詳しい状況説明はないのだが、時は、現在2019年と直近の未来だと思われる。]

荒れ果てた町に人の気配はない。
この荒廃は、宇宙から飛来したと思われる、音に反応し人間を捕食する怪物が世界中で人類を襲い尽くした結果なのだ。

ここアメリカの、そんな、とある廃墟の町で、ドラックストアを物色する両親と子供3人の親子連れ。
彼らは、卓越した知恵で、生き物の脅威から逃れ、生き延びた一組の家族であった。

ここで生き残るルールは一つ。
絶対に音を立ててはいけない。
音を立てたら怪物が襲ってくるからだ。
両親は、懸命に子供達を守ろうと考えていた。

ところが、その日、そのストアで、
まだ幼児である末っ子のビューが、そのドラッグストアに、たまたま置いてあった電池式の音を出す航空機の玩具を欲しがった。
父のリー・アボットは、用心のために、それから電池を抜き取り、ビューを「音が出るからダメだよ。」と手話で言って聞かせたつもりだった。

しかし、なぜだか…詰めの甘い両親は、姉のリーガンにヒューを任せて、先に店を出て行ってしまった。
しっかり者のようでも、両親ほどは事の重大さをわかっていない姉のリーガンは、
弟を不憫に思い、こっそりと、その飛行機の玩具を与えてしまう。
そしてまたこの姉も一足先に店を出て行った。
最後に残ったヒューは、父が抜き取って、すぐ傍らにあった台の上に置いた乾電池も一緒に持って来てしまう。


その帰り道、一同が吊り橋に差し掛かった時だった。
最後列をかなり遅れて一人で歩いていたヒューは、いつの間にか電池を飛行機にセットしていたようで、飛行機の玩具が電子音を出した。
その瞬間、父はヒューを助けようと後ろに向かって猛ダッシュしたが間に合わず、一瞬にして怪物に連れ去られてしまった。

連れ去られるという事は要するにテイクアウト(お持ち帰り食材)を意味する。
そしてそれは同時に死も意味するのだった。

こんな時でさえ、彼らは、ショックの叫びも、悲しみの鳴き声も洩らす事なくジッと堪えていた。


ヒューがいなくなってからも、残された家族4人は淡々と音を立てない物静かな暮らしを続けた。
そんな中で父は防音設備のある部屋で、ずっと補聴器の開発研究をしていた。


母親のイヴリンのお腹には、4人目の子供が入っており、間もなく出産を迎える。

そんなある日の夜の事、リーガンとすぐ下の弟、マーカス(ノア・ジュープ)が床の上でゲームをしていたが、
明かり取りのためにゲームの横に置いていたカンテラを倒してしまい大きな音を立ててしまう。
その時は事なきを得たものの…その日から、度々、彼らの家は怪物に襲われるようになってしまった。

その後、いくつもの危機を乗り越えた末に、
家族の中で、もう一人が、その尊い命を落とすのであるが…母が、赤ちゃんを無事に産むので人数はプラスマイナスゼロで、3人のままエンディングを迎える。


映画 クワイエット・プレイス 感想


映画の前半では、
吊り橋の上で末っ子が襲われるシーンのみが、
スリリングなシーンであり、
その後は無言のまま、たまに手話を使って意思疎通する家族の様子が淡々と描かれてゆくので、
ちょっと退屈に感じるかも。

そして退屈と同時に、家族を亡くしても、特に悲しむ様子もなく、
相変わらずの日常を過ごす家族に「この人たちの感情面はどうなってるのか?」と不思議さを感じていた。
だが、その点は、悲しみや自分の落ち度を責める気持ちというのは、外には洩れ出さずとも、
それぞれの心の内側に鬱積していたんだって。
それ、凄いストレスだと思うんだけど、そのストレスが彼らの表情に現れる事がないってのも、やはり腑に落ちないなぁ~。

《まるで最後の一組か?!のように生き延びたサバイバル勝ち組家族》という設定の割には、
冒頭で幼い末っ子から目を離す…このぬるいセキュリティ感覚と矛盾しているように思えてならない。

出産を声を全く洩らさずに1人だけで成し遂げる母はアッパレなんだけど、
生まれた直後に赤ちゃんが産声を上げないのも、もしそうなら一大事だし、
それで健康な赤ちゃんというなら矛盾の極みでしょ?
赤ちゃんが産声を立てない場合は喉が詰まって死んでる(あるいは仮死状態の)場合もあるので。
生まれた後も、大人しい赤ちゃんで、
弱っちい声で、たまぁ~に泣くけど、基本的にはほとんど泣かないって…
すごくご都合主義的だよね?
マジでそんな様子だと、赤ちゃんの健康面で問題アリでは(^?^;

後「音を立てたら即死」とは言うものの、
息遣いの音くらいなら許容範囲らしいというのもあって、
どれくらい以下ならセーフで、
どれぐらい以上がアウトとなのか?の基準が観客には示されていない。

ほんで、怪物はなぜか水の流れる音には反応しないというのも、よくわからない話。

以上、怪物の生態設定が割とチャランポランなので、こんなんで、よく映画評論家らに絶賛されたなぁ…と少し不思議に感じた。

映画ネタバレしちゃってます(^^;韓国映画のご紹介です。

韓国映画 僕の妻のすべて ネタバレ・あらすじ・感想



映画 僕の妻のすべて 概要



2012年公開の韓国映画。
監督:ミン・ギュドン
主演:イム・スジョン
ジャンル:ラブコメ
上映時間:121分

韓国ラブコメディ映画史上、歴代4位の大ヒットを記録。

映画 僕の妻のすべて ネタバレ・あらすじ



琴の音から始まるオープニング。
日本の名古屋にて出会った二人、ドゥヒョン(イ・ソンギュン)とジョンイン(イム・スジョン)。

料理上手で、日本へは料理の勉強のために訪れていたジョンイン。
片や、ドゥヒョンは地震時に備えた耐震設計を学びに日本へ来ていた。

出会い当初、ジョンインは、日本にいる間は日本語しか使わないと決めていたので、口数が少なくいじらしい女性に見えた。
それに美人なので、ドゥヒョンは、ほぼ一目惚れ。
2人は恋に落ち、韓国へ戻って結婚。



だが、それから7年後…。

口が達者でマシンガントークな上に、愚痴っぽく、毎日過干渉で、可愛気のなくなったジョンインに、
うんざりしたドゥヒョンは、次第に離婚願望が募ってゆく。
しかし、完全に尻に敷かれている状況下では怖くて、なかなか話を切り出す事が出来ないでいた。

そんな折り、ドゥヒョンの会社では、1年の任期で、江原道の郡である平昌へ赴任する人材が一人必要となり、
妻から離れたい一心のドゥヒョンは「是非に!」とばかりに立候補するが、もう一人、離婚したばかりの同僚が立候補する。
そこで、必死に頼み込んで同僚を説得し、自分が晴れて平昌への赴任権利を手に入れ、赴任先で自由を満喫出来るかと思えた。

平昌へ到着するとドゥヒョンは、まず、女友達が勤めるラジオ局を訪ねた。
そして女友達と外で夕食を済ませて、晴れ晴れとした気分で赴任先の借家へ帰宅。
すると、妻が先回りして来ていて、料理を作りながら待っていたのでガッカリする。
その上、勤め先の奥様同伴パーティでも、ジョンインの負けず嫌いで、上司の奥様連中と一波乱あり、
家でも外でも、ドゥヒョンの神経をすり減らす日々は続くのだった。

そんな時、近所に、接点を持った女性を片っぱしから虜にする事から、
“伝説のカサノバ”と呼ばれるソンギ(リュ・スンリョン)が住んでいる事を、警官のチクリで知ったドゥヒョン。
警官は「奥さんもくどかれないように気を付けてあげて!」と言う意味で、その事を教えてくれたのだが、
ドゥヒョンはこれを、むしろ好都合な話として聞く。


離婚をジョンインの方から切り出してもらうために「妻を誘惑して欲しい。」とソンギに頼み込むドゥヒョン。
しかし、ソンギに素っ気なく断られると「だったら死にます!」と浜辺から海の中へと走り出して脅したり、泣き落とししてみたりで、
なんとか、これを承諾してもらったドゥヒョン。


ソンギのジョンイン攻略作戦の一環から、ジョンインは、すぐさま、夫の勧めで、ラジオ局のパーソナリティとして就職する。
「指図されたり型に嵌るのは嫌い!」と主張する彼女の言い分をすべて受け入れ、
素のままのジョンインが語るコーナーを設けたところ、上沼恵美子なみの毒舌から繰り出される面白トークが評判となり
たちまち注目されて雑誌でも取り上げられるほどの人気者になっていくジョンイン。

その一方で、ソンギの作戦によるジョンイン攻略が進むにつれて、次第にソンギは、本気でジョンインを好きになり、
ジョンインの方でも次第に心がソンギに傾いてゆく様子が見て取れると、
ドゥヒョンの心には動揺が広がって行った。

あれほど、うんざりしていた妻であった筈なのに、そのドゥヒョンの感情はまさに嫉妬そのものであった。

これは、紆余曲折あり、さんざん遠回りして、ようやく互いを分かり合える夫婦の恋愛感情の再発見の物語である。

映画 僕の妻のすべて 感想



『ごめん愛してる』から8年。
大人になったイム・スジョンが、あの頃の純真無垢な女性とは全く違うキャラを演じている。

素のイム・スジョンがどういう女性なのかなんて全く知らないが、
マシンガントークも、
夫の前で素っ裸になって着替えながらオナラまでしてしまうという図太さも、
煙草を吸う様子も様になっていた。
どのようなキャラクターもこなす…流石に、役者としては一流と言うべきだろう。

元々が、お見事な整形で作り上げていたその完全無欠の可愛い系容姿は『ごめん愛してる』から8年の歳月を経て、
少し綻びも目立ちだした頃だけど、まぁ、それなりに、まだまだ美人。

ストーリーの方はドタバタ喜劇なんだけど
「あぁ…こういう人生の後悔って、誰の身にも結構あるかもしれないな。」と感じさせるリアル感に親しみを覚える。

このように「結婚してから妻が(あるいは夫が)すっかり変わってしまった。」と嘆く人は沢山いると思うが、
このドラマのように波乱万丈・紆余曲折を経て、再びお熱い新婚時代のような元サヤに戻るなんて話はめったに聞かない。
そう言う意味では、結婚を素材にしたファンタジーとも言えるかもしれない。



韓国映画のご紹介です。

映画 京城学校:消えた少女たち ネタバレ・あらすじ・感想



映画 京城学校:消えた少女たち 概要



2015年公開の韓国映画。
監督:イ・ヘヨン
主演:パク・ボヨン
ジャンル:ホラー・サスペンス
上映時間:99分。

井上真央に、そっくり率77.81%のパク・ボヨンが主演のホラー映画。

映画 京城学校:消えた少女たち ネタバレ・あらすじ


1938年。
人里離れた森の奥深くに建つ女学校に、一人の少女が転入してきた少女、チャ・ジュラン(日本名は静子)。
外界から遮断されたそこは、
表向きは体の病弱な少女たちの健康管理をしながら学ばせる全寮制の学校であったが、ジュランが転入する前にも静子という名の少女がいたらしい。
閉鎖的なその学校では、いつも突然に生徒が消える。
先生は、夜中にその子の親が迎えに来て、挨拶する間もなく家へ帰ったのだと言うが、何かがおかしい。

それでも、級長のホン・ヨンドク(和恵)と親しくなったジュランは、校長に勧められた朝の点滴を続け、健康になろうとの努力を続ける。

そして彼女たちは、
生徒たちの中から2名だけが選抜されるという東京留学に夢を掛けて日々を過ごすが…やがて学校の、隠された真の恐ろしい目的を知る事になるのだった。


映画 京城学校:消えた少女たち 感想



この学校は日本の支配下で運営されているとの事で、日本語使用が義務付けられており、なんやら下手な日本語が飛び交う。
設定はあの『約束のネバーランド』や『わたしを離さないで』にも似てるんで、ちょっとだけ期待したけど、期待外れだった。

どうも、当時の日本をナチスドイツ並みに外道な人でなしに貶めたいらしく、映画の中で日本の軍部はそういう立ち位置であった。
まぁ、その反日感情はともかくも、
軍部と学校の本当の目的は、体力が超人並みに向上した体を作る新薬の開発だ。
少女たちは、新薬の開発に必要な人体実験のために、騙して(?)連れて来られてるのだそうだ。
目的がそれなんで、最後は主人公が、スーパーガール並みに強くなっちまって、大暴れして敵キャラを根こそぎやっつけてしまう。

化け物級に体力が向上した結果、敵を打ち負かしたにも関わらず、
一人ぼっちになってしまった寂しさが漂い、勝利に酔う事も出来ないで鬱。
で、この後、主人公はどうしたらええのでしょう?

途中で《もしかして、これ伏線?》と見えた真っ赤な花や、池の中に沈んでいる沢山の少女たちの夢は、全く伏線ではなかった。
単なるミスリードのために差し入れられたシーンだとしても、
たどたどしいストーリー展開を、余計に混乱させてるだけのような印象で「ホントにそのミスリードいるのかな?」と疑問に思った。

クライマックスで大掛かりな器物破損がある事を思えば、それなりのお金がかかっているようなのでB級映画とは言えないのかもしれないが、
だったら駄作と呼ばせてください。


洋画のご紹介です。

映画 デッド・サイレンス ネタバレ・あらすじ・感想

映画 デッド・サイレンス 概要



2007年(日本は2008年)公開のアメリカ映画。
監督:ジェームズ・ワン
原案・脚本:リー・ワネル
脚本:ジェームズ・ワン&リー・ワネル
主演:ライアン・クワンテン
ジャンル:人形系ホラー
上映時間:89分

映画『デッド・サイレンス』は、大ヒットした映画『ソウ』の監督と脚本家による作品。

映画 デッド・サイレンス ネタバレ・あらすじ



デッド・サイレンス ネタバレ[起]
ジェイミー(ライアン・クワンテン)とリサ( ローラ・レーガン)は結婚してまだ日も浅い新婚カップル。

とある夜、2人が住む家のドアの前に送り主不明の大きな箱が届けられる。

開けて見ると、中には、腹話術式の人形が入っていた。
リサは人形を見て喜んで、おどけているが、ジェイミーは何となく薄気味が悪い。

その後、食材の買い出しのためにジェイミーが外出している間に、
リサは何者かによって顎が外れるほど大きく口を開いて目を見開き、舌を切り取られた状態で殺されていた。

他人が侵入した形跡が一切ない事から、警察へとしょっ引かれたジェイミーは、
事件の捜査を担当するリプトン刑事( ドニー・ウォールバーグ)から容疑者として疑惑を掛けられる。
ジェイミーは「自分を疑う前に、事件の直前に届けられた人形の送り主を調べるべき。」と主張するが、
リプトン刑事は、人形なんか何の関係もないと思っていた。
しかしながら、ジェイミーが犯人だという証拠もないので一旦は解放される。

デッド・サイレンス ネタバレ[承]
警察が取り合ってくれない以上、自分で調べるしかないと思ったジェイミーは、
人形が入れられていたトランクの底に書かれてあった「レイブンスフェアのメアリー・ショウとビリー」という言葉を見つけた。

脳裏に蘇る幼い日に母が聞かせてくれた詩の一節。

メアリー・ショウにご用心

子のない彼女は人形が好き

夢で彼女に会っても叫んじゃだめよ


今回の事件と、この詩には何か関係がありそうな気がして…
ジェイミーは、赤いマイカーに乗り、故郷レイブンズ・フェアへと帰郷する。

故郷の町は、かつて繁栄していた頃の面影はなく、今や廃れ果てていた。
まるでゴーストタウンだ。
実家へ行くと、見知らぬ女性が、やけに親し気に出迎えてくれた。
その人は新しい義母だと言い、エラと名乗った。
父親は以前と雰囲気が変わり車椅子生活になっていた。

ジェイミーは、リサの葬儀を手配しようと葬儀屋へ行く。
葬儀屋の妻は、精神を病んでいるらしく、少し行動がおかしくなっていた。
葬儀屋の主人ヘンリー・ウォーカー(マイケル・フェアマン)と葬儀の相談をした後、その夜はモーテルをとって宿泊した。
例の腹話術人形も持ち込んで、部屋の中の椅子に座らせた。
ベットで寝ていると、夜中に「ジェイミー、ジェイミー」と名を呼ぶ声が聞こえたような気がして目を開けると、目の前に人形がいたので驚いて飛び起きる。
窓が開いていて、カーテンが外から吹きこむ風に揺れており、そのカーテン越しに老女が立っているのが見えた。
こちらを向いた老女の形相は、常夜灯の薄い灯りの中でも、凄まじい形相をしているのがわかった。
驚いたが、声は上げずに部屋の照明を点けると、誰もおらず人形も元いた椅子に座ったままであった。

その頃、リサの遺体をジェイミーの家から、運び終わった葬儀屋のヘンリーは自分の家の中へ遺体を持ち込み、その死に顔を一目見て氷り付いていた。
その時、彼の妻のマリオンは「あの女がいるの。」と言って、狭い遺体安置室に隠れて出て来ない。
何か気配を感じているようであった。

翌日、葬儀が墓地で厳粛に執り行われて、埋葬も終わった。
その直後、女が森の中へと走り去っていく姿を見て、ジェイミーが後を追おうとしていると、マリオンが彼に近づいて来て
「奥さんが殺された時、あの女を見た?」と聞き、
あの「メアリー・ショウにご用心」の詩を話し出した。
葬儀屋が来て「すまない。気が動転しているんだ。」と言って
マリオンを連れて行くのだが、その時最後に、マリオンが
「あの人形を埋めて。埋めるのよ!」と言い残したのが、
とても気になった。
この時、偶然にも、ジェイミーは、自分が立っていた場所のすぐ傍に、枯れ木の枝に覆われたメアリー・ショウの墓を見つけた。

デッド・サイレンス ネタバレ[転]
夜、モーテルに戻り、人形の名前を確認する。
首筋の後ろ側に「ビリー」と書かれてあるのを確認すると、ジェイミーは、人形を車に乗せて墓地へと運び、メアリー・ショウの墓の傍に、
ビリーの墓を探し出して、掘り返して埋めた。
ところが…モーテルの部屋へ戻ってみると、
ビリーが先に部屋に戻っていたので氷り付いた。

実は、あの警察のリプトン刑事が、ジェイミーを追って来ていたようで、ジェイミーの後をつけていて、せっかく墓へ埋めた人形をまた掘り返して持ち帰っていたのであった。
人形を埋めた事を“証拠隠滅”と誤解したらしい。
ジェイミーは、リプトン刑事の愚かさにうんざりしながら、仕方なく改めてメアリー・ショウの言い伝えを話して聞かせる。
むろん、リプトンはそんな話は信じずに、人形を預かると言って、ビリーを持って出て行った。
リプトンはジェイミーの隣の部屋に宿泊中であった。
 翌日、リプトンの留守中にジェイミーは、ジミー人形を持ち出すと、それを持って、葬儀屋のヘンリーのもとを訪ねた。
マリオンに、メアリーの事を聞き出そうとしたが怯えて何も話そうとはしなかった。

結局、見兼ねたヘンリーが、
昔、この町で起こったメアリーと町の住人たちとの忌まわしい悪縁の起源とも言うべき出来事を話してくれた。
それは以下のような話である。

その昔、この町の湖の中央に建っていた大きくて美しい劇場『ロストレイク』
メアリー・ショウはそこで腹話術を披露していた。
そんなある日の事。
一人の少年が…「唇が動いている。おばさんの口が動いてるよ。」と言った。
実際メアリーの腹話術は完璧ではなく、少年の指摘は、間違いではなかったが、言われた方のメアリーは、内心非常に憤っていた。
しかし、その時はそれを逆手に取り笑いに変えて、その場を丸く収めた。
だが、少年のその言葉を根に持ったメアリー・ショウは、
なんと、数週間後、少年を誘拐し殺害してしまった。
その報復で、今度はメアリー・ショウが殺された。
メアリー・ショウ殺害の犯人はわからないが、メアリーの遺書には「人形と一緒に埋葬して。」とあり、101体もあった彼女の人形と共に墓地へ葬られたのだと言う。
メアリーを埋葬する前にヘンリーの父は、自らも人形になりたいと言うメアリーの遺言通りに、彼女の遺体を加工して葬ったのだそうだ。

そしてメアリーの埋葬後、町中に死が蔓延したそうだ。
それぞれの家族は惨殺され舌を切り取られていた。
誰がしたものか?
その惨殺死体が、家族写真を撮影するかのように並べられていた。

しかし、誰がジェイミーに人形を送ったのか?
それは知らないと、ヘンリーは言った。

デッド・サイレンス ネタバレ[結]
ここから、ジェイミーとメアリー・ショウの怨念との壮絶な死闘が始まる。
舞台は、あのメアリー・ショウが住んでいた湖の劇場の廃屋である。
はたしてジェイミーはメアリー・ショウの呪縛を打ち破る事が出来るのだろうか?

映画 デッド・サイレンス 感想


この映画、見せ方が、とっても、上手いんです。
絵が、次の瞬間に実際の風景に変わるところとか、
風景がズームアウトして、主人公の瞳の中に納まるところとか独特な手法を使っています。
不気味な雰囲気のBGMも恐怖を煽るのに効果的に使われています。

殺人鬼と化した幽霊は、闇雲に殺戮するというわけではなく、
神出鬼没に脅かしたり、追い掛けたりはして来るものの、
「トドメは叫び声を上げたら刺される。」というルールが最初からハッキリしているので、そのルールを肝に銘じている主人公はよく戦います。
このルールって先頃ヒットした「音を立てたら即死」というキャッチコピーの映画『クワイエット・プレイス』にも通じるところがありますね。

結局、主人公が襲われる原因は、昔、劇場でメアリー・ショウに喧嘩を売った少年が、主人公の先祖だった事に起因しています。
少年の死後、仇討的に、少年の親族がメアリーを殺害したと思われ、その報復で、親族らが次々に呪い殺されるという恨みの連鎖が起こっていました。
そしてメアリーの呪いは消える事なく、
親族の孫やひ孫の代まで延々と続いてるのだとか…実にひつこくて理不尽な呪いです。
主人公自身は何も悪い事してないのにね。


韓国映画のご紹介です。

映画 隻眼の虎 ネタバレ・あらすじ



チェ・ミンシク×大杉漣…日韓の名優が共演した作品です。

単なる猛獣狩りのスリルを描いただけではなく、男と虎の火花散る男気対決という渋い構成になっています。
そこに加えて、掛け替えのない夫婦や親子の愛情が、人間だけではなく虎の世界にも同じように在るのだという事を見せてホロッとさせてくれます。

映画 隻眼の虎 概要



2016年公開の韓国映画。
監督:パク・フンジョン
脚本:パク・フンジョン
配給:クロックワークス
主演:チェ・ミンシク
ジャンル:男気アドベンチャー
上映時間:139分

映画 隻眼の虎 ネタバレ・あらすじ



1925年。
日本帝国植民地時代の朝鮮、慶尚南道(キョンサンナム)。
この地を任され統治する日本軍元師の前園は「閣下」と呼ばれ、軍隊はもとより、雇い入れた漁師たちにも、
その絶対的権勢を振るっていた。

地元の猟師たちは、貧しく、
猟をする事でしか生計を立てる術を持たなかったが、
日本統治下の今となっては自由に猟をする事は禁じられていた。
故に皆、暮らして行くために日本軍に雇われの身となっていた。
そして昨今では、日本軍主導のもと「害獣駆除」という名目で虎狩りに従事していたのだ。

朝鮮最後の猟師と謳われながらも銃を捨てた伝説の男、チョン・マンドク(チェ・ミンシク)。
彼は、そういった世情には背を向けて、
このあたりにある智異(チリ)山奥深くで、息子と2人きりで慎ましく暮らしていた。

漁師らが何度も何度も、取り逃がしているのは、
「智異山の山の神」とも「朝鮮虎の王様」とも畏れられる隻眼の大虎であった。
これを何としてでも日本に持ち帰りたいと意欲を燃やす前園は、部下の朝鮮人リュウ少佐(チョン・ソグォン/朝鮮人でありながら日本軍将校となった人物)に、厳しく捕獲を命じる。

リュウ少佐は魂までも日本に売ったような男だった。
彼は上官の前園に認められ、自身の威信を保つためにも、隻眼の大虎の捕獲に躍起になり、漁師らに、1日も早い捕獲を急かす。

しかし…隻眼の大虎は、並みの虎とは全然違う。
体重110貫(412.5kg)、体長4m。
その上、人間も顔負けの知性と神業のような素早い動きと、強靭な肉体を持ち合わせている。
それ故に、ひとたび隻眼の大虎に遭遇すると、
誰もが腰が引けてしまい、次々と命を奪われてゆくのだった。
ましてや、季節は冬本番を迎え、山に雪が降るこれからでは、狩りは一層、難しくなる。

それでも、なんとか”ヤツ”が欲しいと望む前園は、
軍隊までも借り出して、猟師らと力を合わさせ、
いまだかつてない大規模な捕獲作戦を決行する。
猟師らにとっても、多額の賞金が出るので、危険な猟ではあるが、皆一様に”ヤツ”の捕獲を切望していた。

彼らに協力を要請されたマンドクは、頑なに断り続けたが、マンドクの知らぬ間に、16歳になる息子のソクが、軍からの給料と賞金に釣られて捕獲作戦に参加してしまう。
マンドクは、普段からソクにも厳しく猟を禁じており、ソクはしぶしぶ父の言い付けに従っていた。
しかし最近では、猟もせず薬草を探して売ってやっと食いつなぐだけの暮らしに反発を覚えていたソク。
それに、里に住む許嫁の娘が、その母親によって、自分ではなく
米屋の息子のもとへ嫁がされようとしている事を知り、
その理由が自分の家の貧しさゆえではないかと思い、金を稼いで母親を納得させたいというつもりもあった。
猟師の息子として生まれたまだ年若い少年が、希望のある将来を自分の力で掴み取ろうとするのは、無理もない事ではあった。
けれどマンドクは、自分が昔、虎を撃っていたせいで、女房が虎に殺されたのではないかというトラウマがあり、
また、虎が高値で売れるからという理由で、あまりにも日本軍が虎を乱獲し山の生態系を崩す事に賛同も出来ず、銃を捨てたのである。

その日、軍隊と猟師らが挟み撃ちにする計画で、隻眼の大虎を捕獲すべく、一同は山へと入って行った。
ソクもリュウ少佐にもらった三八式歩兵銃を持ってそれに参加した。

しかし、軍隊の兵隊たちも、漁師らも、いざ隻眼の大虎に出くわしてみると、
目にも止まらぬ速さで神出鬼没に襲いかかって来る大虎に、瞬く間に噛み殺されてしまった。
ソクは、虎の圧倒的な強さの前に腰が抜けてしまい手に持った銃も落としてしまう。
ソクの傍にいた何人かの人間を噛み殺した後、虎はソクが、もたれている太い木の幹の背後からやって来た。
そうして、その大きな顔をソクの横顔に寄せながら、どうした事か、
そのまま何もせずにソクの横を擦り抜けて行くのかと思われた。
実は、この時の大虎の行動には理由があった。
虎はソクがマンドクの息子である事を知っており、
自分が子供の頃、マンドクに母親を殺されていたが、マンドクが幼い自分達2匹の小虎は撃たず逃がしてくれた事を恩に思っており、それでソクは襲わずにいたのである。

ところが、この時、ソクの斜め後ろで俯せに倒れていた兵隊がピストルに手を伸ばし、虎を撃とうとしたので、虎はそちらに身体を向けて唸った。
その様子を見て、ソクは自分も襲われる!という恐怖感を感じ、
先ほど落とした銃を拾い再び虎に向けてしまった。
そうなると虎も黙って撃たれるわけにはいかず、ソクの持つ銃を前足で払いのけようとして、
ソクの腹部を鋭い爪で傷つけてしまったのである。

この後、この現場へ来たク猟長(チョン・マンシク)に、ソクは助けを求めるが、
ク猟長は虎を追う事しか頭になく、そのまま、その場所にソクを置き去りにする。
血だらけで置き去りにされたソクは、日が沈む頃に狼たちによって引きずられて巣穴に連れて行かれる。
だが、ここに再びあの隻眼の虎が出現し、狼らと闘い追い払い、ソクをそれ以上、傷つけぬように気を付けて、マンドクの家の前まで引きずって来た。
それを、家にソクを探しに戻って来たマンドクが見つける。

隻眼の虎はソクを助けようとしたのだが…残念ながら、あの後、狼にも噛みつかれていたソクの息は、マンドクが駆け寄った時にはもう絶えていた。

少し離れた場所に隻眼の虎が座って、その様子を見守っている。
襲いかかろうとする様子はない。

隻眼の虎の母親を撃ったのは自分だという事を覚えているマンドクはソクの死に号泣しながらも、
一方的に虎を責める事は出来なかった。
その後、成長した隻眼の虎は妻子もまた人間によって殺されている。
だが、先に手を出したのは人間側なのだから、人間が虎を恨むならば、虎もまた人間を恨むだろうとマンドクは思った。
共に家族を殺された…マンドクと隻眼の虎は全く同じ身の上なのだ。

マンドクはこの時、隻眼の虎との最後の戦いを決意するのであった。

《この後、非常に感動的でドラマチックな結末へと物語は続きます。》

シュタインズ・ゲート ゼロ ep.12 相互再帰のマザーグース 歌『星の奏でる歌』聴いてみよう

シュタインズ・ゲート ゼロを只今、視聴中なんですが、第12話の「相互再帰のマザーグース」で、登場人物たちの記憶をバトンゲームのように渡り歩いていた歌『星の奏でる歌』が、とっても気になったので、曲を探してみました。

歌詞を噛みしめながら、じっくり聴いて、この曲に秘められた謎を考えてみるのもいいかもしれませんね。




『シュタインズ・ゲート ゼロ ep.12』と、この曲の記憶のバトンの詳細について詳しいブログさんを見つけましたのでリブログさせて頂きました。



【関連記事】
設定が似てるドラマ「私を離さないで」と漫画「約束のネバーランド」

約束のネバーランド 実写化したら…笑えるキャスト予想
(注意》ハリウッドで実写映画化って書いているサイトは釣りでした。)
面白いですよねぇ~約束のネバーランド。
アニメで観てますけど、次回の第10話ではノーマンが、
いよいよ出荷でしょうか?(^^;
皆さん、あまり心配しないで!!
しっかり者のノーマンの事だから、出荷されても、おそらく生き長らえる事でしょう。
(漫画を先に読んでる人ならノーマンがどうなるかは既に知っていますよね。)

約束のネバーランドが実写映画化された場合のキャストを考えている人がいて、笑ってしもたんで、皆さんにも笑って欲しくて紹介しておきます。↓↓↓
約束のネバーランドが実写化したらキャストはこうですか?

エマ 剛力彩芽or広瀬すず
ノーマン 山崎賢人or藤原竜也
レイ 菅田将暉or小栗旬
ドン 福士蒼汰or神木隆之介
ギルダ 土屋太鳳or有村架純

[出典:Yahoo!知恵袋]

藤原竜也と小栗旬って、いくらなんでも、もうオジサンの域に達しているのになんで?ww
約束のネバーランドって孤児院にいる最高齢でも11歳くらいの子供たちの話なので、それを高校生くらいに置きかえれるならまだしも、アラサーやアラフォーは、ちょっとないだろうっていう意味で。

洋画のご紹介です。

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 ネタバレ・あらすじ・感想



映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 概要



2014年公開のアメリカ映画。
監督:フィリップ・ノイス
脚本:マイケル・ミトニック
原作:ロイス・ローリーの児童文学『ザ・ギバー 記憶を伝える者』
主演:ブレントン・スウェイツ
ジャンル:SF/未来社会
上映時間:94分

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 ネタバレ・あらすじ



そこは近未来の地球上の一角。
戦争で荒廃した後の世で築き上げられた新しい社会。
人々は、その
貧困も差別もなく、あらゆる苦痛が排除されて、争いや、ましてや戦争などとは無縁である理想郷で暮らしていた。
人は物心ついてから、以下の規則を擦り込まれる。

一、正しい言葉の使用。
二、指定服の着用。
三、感情を抑制するための毎朝の投薬。
四、門限の厳守。
五、正直である事。

悩みも悲しみも苦しみもない完全に平等な世界。
親子の血縁関係は不要とされ、人口は定期的な人工授精で補給された。

彼らは皆、血の繋がりのない大人男女2人に加えて、そこへ預けられる子供が数人という家族ユニットを組んで住居で暮らしていた。
少年ジョナスは、血の繋がりのない父と母、妹の4人暮らし。
学齢期が終わると、人々は皆、一生の仕事を授かる。

それら、すべての事を決めるのは、このコミュニティを統括する組織、長老委員会である。

ジョナス(ブレントン・スウェイツ)もこの度、学齢期を終わり、長老委員会より、一生の仕事を授かる事となった。

主席長老(メリル・ストリープ)から言い渡されたジョナスの仕事。
それは、このコミュニティの要とも言える《“記憶の器”レシーヴァー》という大役であった。

それは、人類史上に刻まれた過去の記憶を、唯一蓄えている人物“記憶を注ぐ者”ギヴァー(ジェフ・ブリッジス)から、記憶を受け継いでいくという役割であった。
ジョナスは、この仕事についてギヴァーから、記憶を伝授されて初めて、
「雪」の存在や「色彩」や「音楽」「ダンス」「愛」「夢」などを知る。
コミュニティでは、気候制御のために非生産的な寒い季節が排除され、そのため「雪」も幻の存在となった。
色彩が排除されたのは、肌の色をわからなくして人種差別を無くすためである。

それらのものに触れた事でジョナスは、人類の過去の痛みや悲しみなどの人が本来持っていた「感情」を知る。
そして、やがて、今では必要がなくなったとされる「愛」というものを知り、
彼の心は大きく揺さぶられる。

それから、ついには、長老委員会が「解放」と言い換えているその正体が「殺人」であった事を目の当たりにし、
安全・安心で差別のない理想郷だと思っていたこの世界の恐ろしい裏の顔を知ったジョナスは、こんな世界は間違っていると思う。


ギヴァーは、
記憶の境界線の果てにある三角岩を越えれば、連鎖的にコミュニティを制御していた機能が損なわれ、
コミュニティの人々全員に記憶が注がれてしまうとジョナスに教えた。
ギヴァーもまた、以前から、この世界の在り方は間違っていると考えており、
ジョナスのような、強いメンタルを持ち、革命を望むレシーヴァーが現れるのを、心待ちにしていたのだった。

以下は、ギヴァーがジョナスに語った話である。

ジョナスの前任者であったローズマリーは実はギヴァーの娘であった。
最初は美しい記憶しか与えなかったが、レシーヴァーとなって2ヶ月目に「痛み」を知りたがった彼女に、
ギヴァーは恐る恐る「喪失の痛み=母と引き離された子供の記憶。」を教えた。
ローズマリーの心は、それに耐えきれず、自ら解放を望んだのだ。

「解放」という言葉の本当の意味を知らなかったジョナスは、この時、それが殺処分である事を教えられる。


ジョナスは、縁あって自分の家族ユニットに預けられていた赤ん坊のゲイブに次第に愛情を感じるようになっていた。
しかし、この愛しいゲイブが、発育不全(ただ、よく泣くって事だけなんですが(;´Д`))で「解放」という名の殺処分をされる事がわかる。
愛する者たちを守るため、コミュニティーからの脱出を決意するジョナス。
そこで、恋心を感じている幼馴染のフィオナ(オディア・ラッシュ)に協力してもらい、養育センターよりゲイブを連れ出すと、
自転車にゲイブを乗せて、境界線を目指し逃亡する。


しかし、そのその行く手を、やはり幼馴染のアッシャー(キャメロン・モナハン)が阻む。
アッシャーは長老委員会の決定で、パイロットになっていたからだ。
「コミュニティの治安維持のために、ジョナスを追跡し、見つけ次第“解放”しなさい。」と、主席長老の命令が下り、アッシャーは逆らえず出動した。

任務に忠実であろうとしたアッシャーであった。
だが…最終的には「永遠の友だ。」と誓ったジョナスを殺す事が出来ずに、境界線近くの渓流へと落として逃がす。
そして長老には「解放しました。」と報告。

川から這いあがったジョナスは胸にゲイブを抱いて荒涼たる最果ての地を徒歩で進む。
やがて雪に覆われた平原に出るのだが、寒さと疲れで、雪の上で気を失い倒れてしまう。

一方、その頃コミュニティーでは、ジョナスとゲイブを逃がした罪を問われて、今まさにフィオナの解放の儀式が行われようとしていた。
ギヴァーが止めさせようと長老に説得を試みるが、彼女は「個人に選択の自由を与えれば、社会は必ず間違った方向へと動き出す。」
と頑なに応じなかった。


数分後の事だったろうか?
冷たくて柔らかい感触が仰向けに倒れ意識を失っていたジョナスの顔に触れた。
雪が降りだしたのだ。
意識を取り戻したジョナスは、ふと、雪原を見渡して、ある物を探す。
それは、レシーヴァーになった初日にギヴァーが見せてくれたソリだ。
上手い具合に、少し離れた場所にソリがあった。
ゲイブをしっかり胸に抱き、ソリに乗って、ジョナスは、木立ちの間の山の斜面を滑り降りて行く。

フィオナの腕に、解放という名の殺人を施すための、針が降りて来る直前に、ジョナスはついに記憶の境界線を越えた。
すると、色彩と記憶が、瞬く間に森を越え、コミュニティへと到達し、そのすべてを覆い尽くした。

変化を感じ取った人々の心に感情が舞い戻る。
フィオナの解放を任された担当者も、無意識のうちに、注射針を降下させる機械をストップした。
感情を持った人々は再び自分の意思で行動を選択する事を始めたのだった。

その頃、ジョナスはソリで、記憶の中で見た、本物の家族がクリスマスに集っていた山小屋の前まで到着し、
「フィオナにまた会える。」と感じ取った。
それから彼は思う。
「未来は僕の腕の中に。ギヴァーが僕らをここへ導いてくれた。本当の家に。」

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 感想



この映画の直前に観た、同じく、感情を持つ事を排除された近未来社会を描いた『ロスト・エモーション』よりは、掘り下げて考えられた脚本ではあると思った。

「社会にとって有害であるから、人間の感情を排除する。」という発想は、本作と『ロスト・エモーション』において共通しているが、
微妙に違うのは、『ロスト・エモーション』の場合は「喜怒哀楽」すべてを排除しているのに対して、
本作では「喜怒哀楽」の中で排除されているのは「怒と哀」と、それに繋がる痛みや、偏見や差別といった社会の調和を乱す負の感情全般である。
「喜と楽」という社会の中で妨げにならず、むしろプラスに働く感情は基本的には、残されている。
とは言え、音楽やダンスは排除しているので、「喜と楽」を呼び起こすツールとして、人類史という記憶の中のものだとアウト!ていうなんだか曖昧とも取れる設定である。
反面では、呼び名さえ元のものと変えれば、動物のぬいぐるみはOKだったり、曖昧過ぎてよくわからない部分もある。

SFとなってる割には、記憶の境界線あたりにある三角岩が、どのように人々の記憶を制御しているのかの仕組みも説明される事は一切なく、
長老会という年より連中で作る組織が、この社会を統括していると言う割には、健康でまだまだ社会の役に立てそうな老人たちも、解放という名の殺処分をする理由も不明である。

人間から感情を排除したと言っている。
だが、好奇心や空想する事もまた感情の一部だと思うのに、それは残ってるのか否かあたりは曖昧だ。
好奇心や空想力を排除された人間ならば、目の輝きを失うだろうと思うのだが、彼らは皆それなりに活き活きと暮らしていた。
それならば、好奇心や空想力は排除されなかったのか?と思ってもみたが、
もしそうならば「解放」というのが具体的にどういう事なのかを、誰も知ろうとしない無関心さと符号しない。

またアッシャーがジョナスに言った「永遠の友」と言う言葉も、また感情の発露である。
それらの腑に落ちない部分から、
この映画は良くも悪くも、
感情を排除したと言っていながら、その排除がどこまでなのか?という線引きが曖昧なところだろう。

数々のわからない事と矛盾に満ちた映画なのだが、最も謎だったのが、
ジョナスの仕事のレシーヴァーだろう。
そんなに人々に知られてはまずい過去の記憶を、なんで常に1人だけ選んで継承して知っといてもらう必要があったのか?!である。

映画の終盤でジョナスが赤ちゃんを抱いて逃走する部分が最大の見せ場となっている。
しかし、まだ1歳に満たないような赤ちゃんが、状況に合わせて泣いたり笑ったりの演技をするとも思えないんで、
撮影では、赤ちゃんの泣き待ちとか、微笑み待ちに苦労したんだろうな。







洋画のご紹介です。

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)ネタバレ・あらすじ・感想


イエス・キリストと共に旅した弟子の一人で唯一の女性マグダラ(現在のミグダル)に生まれたマリアに焦点をあてて作られた映画。

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)概要



2018年公開のイギリスとアメリカの合作映画。
監督:ガース・デイヴィス
脚本:ヘレン・エドムンドソン&フィリッパ・ゴスレット
主演:ルーニー・マーラ
ジャンル:歴史上の人物

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)ネタバレ・あらすじ



イスラエル北東部、ガリラヤ湖北西岸の村、マグダラに住む心優しい乙女マリア。
彼女は、家族想いで働き者の娘だったが、
男性原理に支配された村で、父親に、好きでもない男との結婚を強要されて、逃げ出したい思いでいた。
そんな時、村を訪れたイエス・キリストに出会い、彼の奇跡に触れて感銘する。

そして、自分には男の言いなりになって生きる以外に、もっと意義のある別の生き方があると感じ、
キリストの洗礼を受けて弟子となり、家族と別れて、伝道のためのエルサレムへの旅に参加する。

当時のイスラエルでは、どの町も村もローマ帝国の無慈悲な横暴により、人々は希望のない生活を強いられていた。
そんな荒廃した人の世でイエスは、武力ではなく、信仰と赦しの心だけが、人の魂を救済すると言う。

キリストと共に旅をする弟子たちは皆、キリストに心酔している。
その中でもユダの信仰心は特に厚く、キリストについて行けば、いつか神の国へと入る事が出来て、
必ずや亡くなった妻子と再会出来ると信じていた。
旅の途中で、奇跡を起こし、救世主(メシア)として信者を増やしながらイエス・キリスト一行は聖地エルサレムへと向かう。

キリストが奇跡を起こす姿を目の当たりにするにつれ、マリアもまた深く彼を愛し心酔してゆくのだが、
ようやく到着したエルサレムには最後の試練が待ち受けていた。
ユダの密告により、ローマ兵に捕まり、すべての罪を背負って、
イエスは磔になり処刑されてしまう。

しかし、マリアの耳には、蘇ったイエスの声が聴こえ、また目には、彼の姿がハッキリと見えていた。


映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)感想


イエス役のホアキン・フェニックスのいかつい顔は、どうも自分の頭の中にあったイエス・キリストのイメージとだいぶ違う。
(ホアキン・フェニックスは、ジェフリー・ディーン・モーガンといかつさ勝負をしたら勝つだろうと思うくらいのレベルww)
自分の頭の中にあったイエス・キリストのイメージは、もっと線が細くて優しげな…まぁいわゆる優男。
でも…冷静に自己分析してみれば、これはたぶん、キリストの登場する名画や肖像画を見た影響によるものかと思われ、
考えてもみれば、キリストの登場する名画や肖像画なんちゅうものは、
キリストよりもずっと後世に生まれたご本人に会った事のない方々が描いたものだから、そりゃもう適当です!
そんな適当な絵を見て、自分の脳内に勝手に作り上げた根拠のないイメージなんだろうから、
本物のイエス・キリストの容姿なんて誰も知らないんだから、
厳ついのもヨシとしようか?!ww。(YES!YES!YES!イエスの事だけに。)

ただ、顔の方はそれでよしとしても、身体つきがガッチリし過ぎてるのは、
別に軍人でもなく、歩く事と説法しかしてないのに、ちょっと納得ゆかんけどね。
尚、ホアキン・フェニックスは、2019年10月に全米公開予定の映画『ジョーカー(原題)』(DC最新作)で主演を演じる。
[引用:フロントロウ-「新星ジョーカー」はバットマンのいない世界が舞台【写真アリ】]
こっちは、悪名高きキャラクターとの事でキリストとは正反対。
演技力の幅の見せ所だろうか?

さて、イエス・キリストのイメージの話はさておき、
映画の脚本、構成の方はと言うと、
伝説は省いて、人間味のある等身大のキリスト像を描こうとする気遣いが窺えます。

皆さまもご存じのように、聖書引用ではイエスはベツレヘムの生まれとされていますが、それは伝説上の話で、
本当のところは、ナザレ出身だそうです。
だからこの映画でも「ナザレのイエス」と呼ばれておられました。

キリストの話が長くなってしまいましたが、この映画の主役はマグダラのマリアを演じるルーニー・マーラ。
そのルーニー・マーラとキリスト役のホアキン・フェニックスは、どうやらこの映画での共演が切欠で、こっそり結婚されたそう。
こうした予備知識があれば、映画の中で2人が熱く交わす視線は、演技ではなく本気だったんだな~と思って観れて、それもまた楽しそう♪

次に、映画の中身とキャストの事にちょっと触れておきたいのですが、
この映画の中でキリストの弟子(最後の晩餐という名画でキリストを囲んでお食事している方々ですよ。)の中に、黒人が2人いて、
あれは、史実と相当掛け離れているのではないか?と思ってしまいました。
だって、イエスはアフリカ方面は旅してないでしょう?
黒人の1人は、マグダラのマリアと共にイエスに目を掛けられた弟子のペトロ役のキウェテル・イジョフォー。 
遺されたどんな書籍の中でも、ペトロはイスラエルの出身だとされていて、ペトロ役が黒人である事には首を捻ります。

そしてユダですが、福音書には「ユダは金をもらいイエスの居場所を教えたためにイエスは捕らえられ処刑された。」とあるそうなのですが、この映画ではそんな風には描かれておらず、
裏切りには違いないのですが、
「イエスの身に危険が迫れば、奇跡を起こして神の国を出現させるだろう。」との考えで裏切ります。
あくまでも神の国の出現と亡き妻子との再会に拘ったユダでした。
しかしそれでも、イエスは奇跡を起こさず、待ち望んだ神の国へ入る奇跡が起こらなかった事に失望して自殺します。

キリストの最期と復活の生き証人とされるマグダラのマリアですが、復活の方は極めてマリア個人の観念的なもので、
生き返ったキリストの姿はマリアにしか見えなかったようでした。
それで奇跡って言うには、かなり無理があるような…。